るということが抑々の間違いの元で、実はスポーツの内に二種類あるのではなくて、本当はスポーツと体育との二種類があるに他ならない。大会に不参加を決意した例の選手達はだから、体育家ではあっても、決してスポーツマンではなかったのだ。――体育協会も、戸山学校も、文部省も、この点をもう少しハッキリさせる必要があるだろう。

   三、血液と制度との混線

 東本願寺では去る十四日、第二十五世法嗣光養麿君の得度式を行った、がそれは極めて画期的な意味のある得度式であったらしい。
 光養麿の祖父である大谷句仏氏は今は僧籍を剥脱されて一介の俗人に過ぎないのだが、それがこの得度式に前法主として出席しようと主張するのに対して、院内局側は之を阻止しようとするので、前日の十三日には十二時間にも渉る交渉をやったのだが、遂に妥協点を見出すことが出来ず、物分れとなったので、句仏氏が翌日の式場に乗り込んで来るだろうということは皆が予想していたことである。
 句仏側に云わせると、たとい僧籍はなくても光養麿の本当の祖父で且つ前法主である身である以上、得度式に出席するということは当然のことであり、それに、得度式に必要な立会人で
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