ぬ事態と考えて声明書を出すことにした、というように説明して除けたが、斎藤首相はどう思ったか「軍部の声明書発表について私は何等相談にもならねば発表後報告にも接して居らぬ」と答弁したものである(読売一月二十五日付)。そこで追求は愈々急となったので問題は秘密会に移されることになり、結局政府が泣きを入れてこの追求は打ち切って貰うことにしたのである。例の「少壮将校」連がこの生意気な追求に憤激したことは云うまでもないが、海相などは、亀井貫一郎代議士にキメつけられて、将来かかる事を材料として声明書は出さないという弁疏をさえさせられることになったのである。
次に問題にされたのは軍人の政治干与の件である。軍人が政治に干与することは、云うまでもなく明治大帝の賜わった軍人勅諭の精神に反するもので、取りも直さず軍紀の甚だしい弛緩を意味することは、昔から明白なことなのだが、小川郷太郎代議士は今更らしくこの点に就いて、勇敢にもダメを押している。問題は貴族院の方にも廻って行って、大河内子爵は同じく軍紀問題を追求し、兼ねて軍部の言論圧迫を攻撃するということになって来た。荒木陸軍大臣が風邪に罹ったばっかりに実に大変な
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