を三カ年とし、中学校及びこれと同等以上の学力を有する者を入学せしめよう、という案を立てさせているそうだが、之によると師範学校も大体今日の専門学校乃至高等学校程度になるので、それだけ早期の職業教育は延期されるわけだから、文部省としては珍しく実のある学制改革案だと批評してもいいだろう。
処が多少誠実のありそうな改革案には必ず愚劣な故障が伴うもので、現在の師範学校長の処置に困るとか、僅か一年修業年限が多いだけで中学教員の資格を得られる高等師範学校との関係をどうするかとか、そうすれば文理科大学を師範大学として高等師範を止めにしなければならないではないかとか、師範教育令なる勅令を改正せねばならぬとか、却って地方財政の負担が多くなりはせぬかとか、色々の難関が待ち受けている。一寸は実行出来ないプランであるらしい。
実業補習学校と青年訓練所とを一緒にしようという「青年学校」案を、××××に一蹴された腹癒せとしては、出来すぎた案だと思ったのに、之は又老教育専門家達によって、一蹴されそうである。まことに同情に耐えない次第である。
だが、文部大臣がこの改革案を工夫した目的を聞くと、折角の同情も、あまり急いではならないことが判る。文相は近時「小学校教員の思想事件」が頻発するに鑑み、小学校教員の素質を向上させるために、この案を立てたというのである。処が、小学校の××教員達というのは、その潜在的な勢力の圧力によって、例の幼年学校式師範教育の束縛を断ち切った連中ではなかったか。早期教員職業教育から来る、人格主義や先生意識を突き破って、もっと真理のある世界に頭を出したのが彼等だったのだ。
師範学校を専門学校程度にすることによって得るものは、なる程、本当に云って現在よりも数等優秀な小学校教員だろう。(併し実を云えば大学を出たものの方がもっと好いのだが。)併し彼等は恐らく、文相が考えているような「素質の向上」した先生にはなりたがるまい。師範学校を専門学校程度にすることによって、教育幼年学校としての素質に下落するだろうことは、今から保証してもいい。
師範学校を教育幼年学校として向上させる唯一の途は、之を小学校程度に引き下げる外にないのである。
中学ではこの四月から作業科と実業科とが加えられ、之を主とする第一種の生徒は、学校を出たらすぐ実社会で働けるようになるということであるが、今日のブルジョ
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