と同じことが、教育家(「先生」)の特権に就いても起こるのである。
成城学園は小原国芳の名と自由教育の名とによって知られているが、その当の校長小原氏が学園を追い出されて、代りに三沢氏が校長に直るということで、成城問題が始まったことは読者の知る通りである。
小原氏という人は全く東洋のペスタロッチ(教育家は偉い人をみんなペスタロッチと呼ぶことにしている)その人で、学校経営には年少から一貫した趣味を示している人だそうであって、財団法人成城学園の外に、自分だけの玉川学園という労働学校(?)も経営している。――氏によれば、教育の理想は、先生が講義をする代りに生徒に勝手な仕事をさせて之を指導することにあるそうだ。教育評論家達は之をブルジョア自由教育と批評しているが、多分当っているだろう。問題の京大前総長小西重直博士(教育学専攻)に、恩師で且つ有力者だという理由で、この間まで学園の総長に据わって貰っていたことは時節柄面白いが、本間俊平というような「聖者」を引っぱって来たり何かするのは、どういう意味だか好く判らない。だがとに角、肝心のこのペスタロッチが学園を追い出されるのでは、千円から三千円迄もの入学献金を奉納した小原宗の「父兄」達は、黙っている筈はないのである。
三沢氏も亦特色ある人物で、台湾高等学校の校長から、京都帝大の学生課長として乗り込んだ人である。多分赤色教授への重しの意味で勅任の学生課長を必要とする処から、選ばれたという噂であったが、学生課には過ぎ者の物判りの良さ(即ち自由主義)の所有者だったので、成城落ちをしたのだそうである、個人に就いての噂さはどうでもいいが、府の学務課から三沢氏排斥教員の解職を命じて来た点はここからも理解されよう。
小原氏が態よく逃げ出して了えば氏の身柄にも傷がつかずに済んだものを「師弟の情」か何か教育家の特権にぞくするものを利用しようとしたために、三沢派の教員から背任横領で告発され、藪蛇の結果を見たのである。
四カ月に亙る学園の紛争自身は、児玉秀雄伯の総長就任と共に解決したが、解決しないのは学園の会計に関わる小原氏の一身上の問題である。結局氏の背任の事実が司直の手で明らかになったので、紛争が解決した今日、告訴を取り下げるにも時期は遅すぎるという破目になって了っているのである。
小原氏は成城の公金五万八千円をまんざら私用にばかり費したので
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