思想を鼓吹するという、その思想自身だ。準戦時体制主義が農山漁村の社会生活に及べば、こういうものになるわけであり、村に求める処を国に求めれば即ち「国家総動員」となる次第だ。それは判るが、それで以て村民の更生を期する一半の依り処とすると、咄しは甚だ抽象的と云わざるを得ない。国家総動員の組織の細胞として、全村一体が必要であるというのは具体的に明らかだ(日本中の村が一体になるのではなく夫々の村の村民が夫々の村で一つ一つにかたまるということならだ)、併し夫が村民の本当の更生になるかどうか、具体的には判らぬではないか。どういう性格の「全村一体」かが問題になって来る。すると、折角具体的であったこの「全村一体」までが抽象的だということとなって来る。やはりここでも村民の「更生」などという表現は使わない方が正確だろう。最後の政綱は「税制の整理、物価対策及び国際収支の改善を期すること」であるが、その説明は八大政綱中、一等長く従って一等詳しい。「国民負担の均衡を図り、国家の存立発展のために必要なる国費の財源を涵養するため、中央地方を通じ、税制改革を行い、物価の投機思惑による国内的騰貴抑制の方途を講じ、根本的に物資の需給関係を調整すると共に、原料資源の確保、貿易の伸展、海運の発展、移民の促進に勉め、以て国際収支の改善を図らんとす」というのだ。大へん善いことばかり並んでいるが、国民は国民負担の均衡のための税制改革では馬場財政の方に賛成し、国家の存立発展のために必要なる国費の財源の「涵養」(?)のための夫では結城財政の方に賛成する。そのどっちかが問題であろう。尤もこの「涵養」ということは、税金を安くする事とも高くする事とも解釈される。政府で涵養になることは国民ではその反対だが、総じてここに限らず、現政府は、国民も政府も、労働者も資本家も、一緒クタにして、物を考えたり云ったりするらしいから、読者は諒とされたい。
 国内的物価騰貴が投機思惑によるものであるかのような云い方は、忽ち揚げ足を取られる点だろう。蔵相は場合によっては暴利取締令を出してもいいとさえ云っているから、物価高の主原因の一つが投機思惑にあると、本当に政府が信じ込んでいるように世間は誤解するかも知れない。又政府は折角増大した予算なのに、物価に騰貴されては、実質予算(という言葉があるなら)が却って減るだろうという心配から、こんな経済学的財
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