ことではなく、出来るだけ増設などの必要のないようにすべきであり又なるべきだが、少し今日までの警察官の警察技術と心掛けとから云って、増設を必要としないような状態は到底望まれないようだ。三畳敷き程度の処へ、多い時には二十人以上が言葉通りに鮨づめか刺身づめにされるのでは、大抵の留置人は身銭を切っても留置場増設を引き受けたくなるだろう。(そういう事実は調査して見たらば存在しなかった、などと云う勿れ。証人は日本の社会至る処からつれて来て見せる。)馬鹿々々しい牢名主制度などこういう物的条件から起きるのだ。之は少くとも近代化されねばなるまい。
 室の数や広さだけではない、昆虫衛生、入浴設備、排泄衛生、採光、其他に関する改造が必要なのである。この改造費は警察医の費用位いでしぼり出せぬとも限らぬ。留置場から出た国民各自の医療費の一部を喜捨してもらっても、予算は立つかも知れない。留置場を近代的に立派にするのでなければ、刑事部屋にどんな快適な設備をしても、日本の警察は決して明朗にはならぬ。私は敢えてこの意味に於ける警察明朗化を提唱するものである。
[#地から1字上げ](一九三五・一〇)
[#改段]


 八大政綱の弁護


 四月十日林内閣は「八大政綱」なるものを発表した。すでに同内閣が組閣当時発表した有名な政綱があって、夫が祭政一致の宣言から始まっていることは、少なからず日本の民衆を刺※[#「卓+戈」、231−下−4]し、そればかりでなく甚だしく世界の人類を感嘆せしめたものである。処が七十議会を解散した政府は、四月末の総選挙に先立って、改めて政綱を発表するという前振れの下に、国民の注目を惹きつけていたが、遂に夫の蓋が開いた。
 その内容は後にするとして、同じ政府が幾月も経たない内に政綱を二度も発表するというのはどういうことだろうか。前の政綱が不充分であったがためなのか、それとも前のは間違っていたから訂正したという意味なのか、それとも今回政府が政策を変えることにしたというのであるか。だがそういう点には殆んど全く、新(?)政綱は触れていない。七大政綱でも九大政綱でもなくて、精密に八つの政綱であり、之が必要にして充分な数であるらしく思うのが正しいのかも知れないが、そうだとすると増々、前の数政綱の改廃の経緯を説明して呉れなくては困る。この調子だと今後又更に、例えば三大政綱や五大政綱が発表されな
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