「ブルジョア」経済会議のダラしなさを見ろ!「ブルジョア」軍縮会議が何だ!)この「転向」によってすっかり悦に入っているものは、決して裁判長や教悔師ばかりではない。
土堤評によると、党員の相当上の方へ行くと、この転向に追従する人間も案外少くないかも知れないということである。だが又、当局が皮算用している程に痛快な大動揺も、なさそうだという噂さである。前に云った山川均氏や青野季吉氏などは、それ見たことかと云った調子で、軽くひねって片づけているような始末である。
大衆は案外、英雄崇拝[#「英雄崇拝」に傍点]をしないもののように見える。そうだとすると、「巨頭巨頭」という招牌もそれ程効き目がないかも知れない。この間ある有名な左翼出版屋が、ファッショに転向したそうである。ナチスの焚書に倣って、日比谷公園で過去の出版物を焚刑に処するそうだという噂まで製造された位いである。だが之は「巨頭」の転向より無論前だから、原因は無論「巨頭」の転向などにあり得ないことは云うまでもない。原因は外にあるのだ。「巨頭」だってこの原因には意識的無意識的に動かされないとも限らない。
二、没落
転向問題で以て花見のように陽気になっている世間に、更に景気をそえるために、又吉報が現れた。河上肇博士が「没落」したというのである。河上博士自身にとっては没落するかしないかは大問題だが、社会的結果に就いて云えばあまり大して問題ではない筈だと思うのだが、世間が之を以て左翼の崩壊の吉兆だと見たがる処に、博士の没落の社会的な意味があるのだ。もしそうならば之は単に一個の河上博士の個人的な大問題ばかりではないことになりそうである。抜かりのない世間は事実、之を例の転向問題と結び付けてはやし立てている。――だが世間は何と浅墓なオッチョコチョイに充ちていることだろう。
あくまで率直な博士は、自分が今日、到底共産主義者としての、即ちマルクシストとしての、実践活動に耐え得ないことを有態に告白し、マルクス主義を奉じながらなお且つマルクス主義者[#「主義者」に傍点]ではあり得ないことを、独語している。共産主義者としての自らを葬り、共産主義的学徒として資本論の飜訳を完成しようと告げているのである。その声や誠に悲しく、その心情のまことに切なるものがあると云わねばならぬ。
だが博士は、年を取ったことや身体が弱ったことや、又恐らく自
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