という社会の不可欠有用な警察機能の全部を占めるものではないのである。暴力を商売にする暴力団は之で弾圧されるだろう、だが暴力を職責とする暴力団はその弾圧など思いもよるまい。そして困ったことには暴力を職責とする暴力団は、この社会では一向暴力団というものの内に数えられていないことだ。それ程吾々の社会は幼稚なのだと見える。
だが暴力を職責とする暴力団が警察権の対象になりにくいことには深い理由がある、ということを無論見遁してはならぬ。この社会で何かの職責を掲げるためには、その職責は結局之を国家権力から導来し、国家権威を勧請したものでなくてはならぬ。だから暴力を職責とする各種の暴力団は、終局に於て国家権力の私的複製であって、そこに事実上社会的な権威があるのである。こうしてその暴力は国家的に従って又社会的に権利を与えられ承認を与えられる。各種の半合法的暴力はここから続々として生まれ出る。これには同じく国家権力の複製たる警察権力も、無下に手はつけられないだろう。それよりも警察権力自身が又、この半合法的暴力を援用した方が途は平坦だというものであろう。裸体にして焼火箸や煙草の火をつけたり、逆さまに天井から吊下げたりすること(五月三日付東京朝日新聞二頁)は、必ずしも所謂暴力団ばかりがやることではないのである。
でこういう風に考えて行くと、今度の暴力団検挙にも、明らかに一定の社会的な限界があるということが見当づけられると思う。之は別に、検察当局が外部のどこかから牽制されるというような原因に基くのではなくて、検察当局の国家的従って又社会的な権力半径の本性から来る制限なのである。一般に非合法乃至半合法の個人的団体的又公的でさえある暴力(単に物理的暴力に限らず結局に於て物理的暴力を指向する言論上の暴力をも含めて)を取り締ることは、苟くも警察の本然の機能が社会人の日常生活の保護にある以上、最も代表的な警察機能でなくてはならぬ筈なのだが、それがこの社会では一定の行動半径の外へは決して出ないのである。この社会に於て本然的警察機能はこの通り決して無条件に発揚され得ないのだが、一方社会人の日常生活の保護には、殆んど何等の関係もない思想警察の方は、殆んど無限の権力半径を許されているのである。こういう重大な比較を抜きにして、左翼弾圧とギャング狩りとを天秤にかけようとする社会人がないでもないのを見ると、私は
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