て、最近陸海軍では、普通刑法に治安維持法(尤も之はあまり普通な刑法ではなくて寧ろ異常な刑法なのだが)の改正に平行して、軍刑法の改正(?)を企てている。
 審議委員会で逐条審議した際最も重点を置いて議論されたのは、反軍運動即ち反軍隊的言動、もっと詳しく説明すれば、軍の不利益になり軍の秩序維持を妨げる言動、に対する罰則を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入する件であった。治安維持法は少くとも資本主義の何らかの否定に対する罰則を規定したものであることは云うまでもないが、この治安維持法と、この反軍取締りの軍刑法との間に、平行関係があるということは興味のないことではない。だがそれはとに角、こういう法律が整備されねばならぬからには、反軍的な言動が現に旺盛になりそうな危険がある、ということを想定しなければならないのが遺憾である。
 で三度例の投書だが、あれは陸軍に向って投書したものだから無論軍の利益を慮って行われたものに違いない。だが、文章はどうにでも書き様があるのだし言葉にも色々の使い方があるのだ。同じ内容の事柄が別な言葉で別な個処で述べられないとも限らない。そして夫がもし忠告だとするならば、それが好意に出たものか悪意に出たものかは容易に見分け難いものだ。
 でそう考えて見ると、何が反軍的で何が反軍的でないかは、仲々ムツかしい問題になるだろう。
 軍の専門家の方では判っていても、同時に農民労働者勤労大衆も夫がピタリと判っているのでなければ、反軍取締りの法律も、その道徳的な権威に乏しくなるし、法運用の技術上の信用も薄らぐわけだ。
 如何なるナポレオンの法典も、解釈が問題になるようになっては、もうお終いなのである。夫はナポレオン自身がそう云っていることだから間違いはない。
 例えば、坂野少将という人がいて、海軍は政治に干与しないと声明したが、夫が何よりもの政治干渉と解釈されるというようなわけだ。

   三、メリケン

 東郷元帥の国葬の夜、アメリカのNBC放送局から、スタンドレー大将の弔辞の後で、「かっぽれ」や「六段」や「お江戸日本橋」などが、「日本音楽」の名に於て放送されたということは、何と云っても取りかえしのつかない打ちこわしで、放送内容もロクに打ち合わせず、スイッチを切る気にもならなかったAKの、最大の不祥事件だったと云わなければなるま
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