外な決意だということが世間の婦人達や男達の常識観のようである。
だが併し実は少しも不思議がることはないのである。フィリッピンのオリンピック選手と誼みを通じたり、フィリッピン人の低能留学生をさえチヤホヤしたりする位の近代日本女性であって見れば、由緒の正しい黒人王族に感能を動かすことは、あまり不自然なことではあるまい。殊にエチオピア帝国は皇統連綿恰も実に三千年に及んでいる。この頃流行る日本主義者達の説明によると、日本精神なるものは何よりも先に、わが国の皇統連綿たる点に立脚しているので、この点こそわが国体の本質に外ならぬそうである。そうすると、恰もエチオピア帝国は、その国体の本質をわが国の夫と極めて相斉しくするものということが出来る。わが国の国体を愛するものはだから、誰しもエチオピアの国体をも尊敬しないものはない筈だ。そして国体に対する尊敬さえ持てたら、後の色々な点は実は云わばどうでもいいので、その国の文化水準がどの位進んでいるかとか又はどの位進歩し得るかと云うような点は、国体に較べれば大した問題ではないのである。そう考えて見れば、黒田嬢の例の決意には、何人も肯かずにはいられない国民道徳的必然性があるではないか。
ヒトラーは神聖な純正ドイツ人が外国種の人間と結婚することを禁じているが、同じファッショと云っても、ドイツのは敗戦の結果凡てを失った揚句のものだが、わが国のは之とは正反対に、満州帝国を建設し××××処のファッシズムである。だから日本では外国種の人間と結婚するということは何より尊重すべき事柄なのだ。日鮮融和の実もそうやって挙ったものだし、日満融和も皆この手を併用すべきだろう。植民政策にも色々あるが外国の土地で外国人との間の雑種を創り出す程完全な言葉通りの植民はない筈である。この大きな理想の下では人種的偏見位い邪魔なものはないのだが、黒田嬢の例の決意はこの点で極めて植民政策的コスモポリタニズムの意義のあるものなのだ。
無論黒田嬢は、植民政策の御手本や何かではなくて、レッキとした独立国エチオピア帝国に嫁して行くのであるが、その海外発展的な進取の気象は、日本人の御手本として何より教訓に富んでおり、失礼ながら天草や何かの女達とは違って、立派に日本女の模範とするに足るものだろう。満州帝国の建設に際しては、××××××××××××××××××××××にしなければならなかっ
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