の連関に基く「自然科学」なるものは、日本に於ては全く新しい文化内容であったから、それに関する科学論は、他よりおくれて世界大戦前後に初めて始まるのである(田辺博士の小著『最近の自然科学』はその意味で特徴的なものだろう)。特に自然弁証法を内容とする自然科学に関する新しい科学論は、つまり唯物論の立場から統一点を与えられた実際的な科学論は(之は日本だけではないどこでもだが)、ごく最近の仕事に属する。――で今日、日本文化的時局性に於て溌剌たる現象を呈している科学論一般は、唯物論に対する向背如何に拘らず、実は唯物論的な科学論議をめぐって現われていると云っても云い過ぎではあるまい、というのが私の見解だ。
だが、元来科学論は科学そのものからの反省的な産物であるにも拘らず、矢張り一種の相対的独立性を持って世界の思想史の上を歩いて来ている。科学論は科学そのものとは往々にして独立な契機をみずから工夫することによって、思想史的な発展をして来ていることも忘れてはならぬ。そんな科学論などは、宙に浮いたもので観念的な過剰物にしかすぎない、という批評も嘘ではないが、併しそうばかりは云えないわけがある。なぜというに人
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