々素人が責任を取らねばならぬのである。
尤もそうだからと云って、文化の各種の職業的専門家(?)の役割について、過小評価することはまた、ナンセンスだろう。自然科学者の科学的研究と考察とに聴くのでなければ、自然科学に於ける科学的精神を明らかにすることは出来ぬ。社会科学についても文芸其の他についても、この点変りがない。だがそれにも拘らず、科学的精神は、専門の科学者だけに専門のものであってはならぬ。之は広く民衆の文化精神を指すのが事実であり、又そうなければならぬことが本当なのだ。
だから自然科学者の専門的研究のやり口や手続きばかりの内に、科学的精神の唯一の具体的[#「唯一の具体的」に傍点]な内容があると思うのも、又そこにこそ科学的精神の最も具体的[#「最も具体的」に傍点]な内容があると考えるのも、どっちも幾重にも誤っている。科学なるものが自然科学に於て最もよく現われるかのような想定と、そこに於ける科学的精神が科学専門家の専門技能としてのやり口や手続きに最もよく実現しているかのような想定と、少なくとも二重の誤りに立脚する。――こういう点は、前にもすでに述べた処から当然導かれる意見であるが、こ
前へ
次へ
全25ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング