建築であり、人生の耕作であり人生の治水である。その建築・耕作・治水の形相如何によって、かくするが正しくかくするが正しからず、かくするが善くかくするが悪いということが定まる」云々。つまり教学の真理は、ただの真理ではなくて「無数の真理の中に就いて、宜しく選択して人生を建立する」ことであり、「教の立て方によって正邪の異なるは当然である」、「教が立って始めて正邪善悪がある」のだから、というのだ。
 ではどういう風に人生を建立するのか。「国民生活の根本的規範たる教は其の国の立て方の全貌そのものである。」そして国の立て方というのは「歴史」のことである。「教無くして歴史は無く、歴史無くして教もない、教と歴史とは相依って立つもので、其の端を知ることは出来ぬ」のだそうである。つまり「教、国家、歴史」は一つづきのものとされる。この「歴史」が何を意味するかは最も興味のある処だが、しばらく先をつづけよう。
 国家や歴史と一つになるこの教・教学は、当然なことながら、極めて倫理学的なのであることを免れない。すでに真理の上に正邪善悪という教学的真理の選択がなり立つというからには、この正邪善悪は科学的真理に左右されな
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