つつある、之を因果的に説明し、之に合理的な根拠を与え、之を検証し、そして之を初めて実際的に(実地に実践的に)解釈する精神のことである。尤もクロード・ベルナールの生物学を文学的に直訳したゾラなどは、恐らく多少拙劣な科学的精神だろうが。
教養や常識は、この精神の存在に基いて初めて成り立つことが出来る。そして教育や啓蒙も亦、この精神を中心にして初めて意義を有つ。その証拠に、この科学的精神の存在を差引いて考えて見ると好い。その時教養とは尤もらしいが極めて退屈な文化人的ポーズに過ぎなくなるし、常識はただの無知と同じ事になる。教育や啓蒙は単に先生振ることになる。処で今先生振る代りに神聖な専門家[#「専門家」に傍点]を気取るとする、夫は科学的精神を有たぬ場合の専門家のカリケチュアに他ならないだろう。もし専門的科学教育がこういう形の専門科学者を造る事であるなら、専門的であるという事は片輪であるということになる他ない。事実そういう皮肉な通念もあるのだ。
底本:「戸坂潤全集 第一巻」勁草書房
1966(昭和41)年5月25日第1刷発行
1967(昭和42)年5月15日第3刷発行
入力:矢野正人
校正:松永正敏
2003年9月11日作成
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