執する。労働手段の体系が技術だという通説はそのまま採用することが出来ぬ。労働手段は労働手段である、それで立派に判る言葉ではないか。之をワザワザ技術という通俗語におきかえる必要はどこにあるか。技術と云う以上は、ただの労働手段の体系だと云っては片づかない筈だ。
 雑誌『科学主義工業』一九三七年九月号所載の三枝博音氏の「技術学のグレンツ・ゲビイト」は、その主旨に於て共感を禁じ得ない。私に云わせると、つまり近代の哲学は他ならぬ技術的精神によって貫かれねばならぬという主張であろう。ただ氏は技術的精神と云わずに、もっとも拡張された意味に於ける技術学と呼んだものと私は理解する。だが技術学が哲学に代る、と云うらしいその言葉は、やや云い過ぎであったようだ。近代精神は技術的精神でなくてはならぬ、と云った方が、もっと正確で又穏当ではなかっただろうか。
[#地付き](一九三七・九)



底本:「戸坂潤全集 第一巻」勁草書房
   1966(昭和41)年5月25日第1刷発行
   1967(昭和42)年5月15日第3刷発行
入力:矢野正人
校正:松永正敏
2003年9月11日作成
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