乃至知覚は、他方に於て実は又主観の主体的な実践的な活動の第一段階でもあったのである。かくて知識の客観性を保証し確保し検閲し得るものは、主観の観念性[#「観念性」に傍点]どころではなく、却って正にこの人間の実践[#「実践」に傍点]だったのであり、実験や実証というものが、この実践の云わば理論的な手続きの第一段階だったのである。
それ故、知識の構成手続き、知識の客観性を保証し確保し又検閲するための知識構成の手続きは、要するに人間的実践[#「人間的実践」に傍点]に帰着する、ということにならざるを得ない。――処が人間の実践・実際活動は、云うまでもなく感覚や知覚や観察や実験や実証やの段階に止まるものではない。一般に社会に於ける社会人としての人間活動――生産活動・政治活動――こそ、この実践の意義に於ける内容でなければならぬ。人間社会の歴史は、人間のこの実践活動を通じて、展開される。実践という観念はこの意味に於て歴史的で社会的な内容を失うことが出来ない*。感覚や実験は、之が単に理論的活動乃至知識活動に限定された時に生じる一断面に他ならない。
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* 実践に就い
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