係を意味するらしい。実際彼は、そこで自分の哲学に因んで実験家ガリレイの功績に言及しているのである。
*** 知識・認識の問題も、夫が近代的な形態でなくていいなら、古代はいくらでも重大な成果を示している。特にプラトンの対話篇 Theaitetos や Sophistes, Parmenides など。
[#ここで字下げ終わり]
カントにとっては、知識の分析は感覚[#「感覚」に傍点]の問題から出発する。彼によれば感覚とは客観的に存在している処の物[#「物」に傍点]が吾々の心[#「心」に傍点](〔Gemu:t〕)を触発し之に影響を与えた結果[#「結果」に傍点]に他ならない。処でここにすでに注意されるべきは、少なくとも客観的に物[#「物」に傍点]なるものが存在するということが一つであり、之が心に一定の感覚という結果[#「結果」に傍点]を与えるということが一つである。こうした想定は常識的には全く理解し易いことで、何等の疑問はないようであるが、処が之は、カントがここから出発して後に到着する先験的な観念論の立場から云っても、又一般にカント解釈家達のカント理解から云っても、甚だしく不都合な想定だと
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