ない。科学時評[#「科学時評」に傍点]なるものの意味さえも亦、ここに明らかである。
[#ここで字下げ終わり]
この意味に於ける常識化によって初めて、科学は単なる科学自身の立場からは判らぬその社会的機能[#「社会的機能」に傍点]を明らかにされる(科学が社会的に存在し得るのは、云うまでもなくそれが一定の欠くべからざる社会的機能を営むからだ)。科学と他の諸文化との連関も亦、ここで初めて問題として正当に提出されるのである。文明批評の観点を離れて科学の批評は不可能だ*。こうした「常識化」の手続きを経ないで、直接無条件に科学そのものの切断面から社会や文化を議論しようとするから、科学専門家の哲学や世界観が往々にしてナンセンスに陥らざるを得なくなるのである。
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* この『科学論』自身も亦、こういう観点に立って初めて意味を有つのである。
[#ここで字下げ終わり]
科学の常識化、科学に対する評論、之は恰も近代哲学[#「哲学」に傍点]の最も好んで取り上げたテーマである。だからそういう哲学は多くクリティシズム(批判主義)を名乗ったのだった。但しこの種の(ブルジ
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