ナある。
この点云うまでもなく社会科学に於ても変らないばかりでなく、ここではこの操作の機能に就いて愈々明白な観念が得られるだろう。A・スミスの『富国論』やリカードの Principles of Political Economy and Taxation などに於ける分析操作、又哲学ではアリストテレスの主なる著書(『メタフュジカ』・『フュジカ』・『ニコマコス倫理学』・等)の考えの進め方の操作、などがそのいい例である。
だがこの分析的操作は一つの歴史を持っている。というのは、この概念分析という手続き・手段が、之まで往々にして単なる形式論理のものだった場合が多い。処が分析が現実的であり、操作として完備するためには、こうした形式論理的[#「形式論理的」に傍点]な分析(単なる区別・対比・固定化)では不充分なのであって、いやでももっと具体的な分析にまで行かざるを得ない。この時、分析は弁証法的[#「弁証法的」に傍点]な分析操作の性質を帯びざるを得なくなるのである(本来弁証法は単にこうした操作[#「操作」に傍点]の名に限られるのではなく、実は科学的方法[#「方法」に傍点]そのものの名であり、或い
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