カ化的な実在或いは対象をその対象とすべきであるにも拘らず、その現状から云って、蔽うべくもない理論の乱雑な無政府的な対立・撞着・矛盾に陥っているからである。そればかりでなく、ブルジョア社会科学とプロレタリア的社会科学との間の、到底相容れない建前の相違(部分的な合致に乏しくないにも拘らず)さえがあるからなのである。単に個々の理論に就いて異説が并立しているというだけではない(それならば科学が健全な発育をする時の必至の症状であって、又往々にしてその欠くことの出来ない条件でさえあるのだが)、夫々の科学そのものの根本的な建前[#「建前」に傍点]が、相互に根本的に相容れないのである。夫だけでない、もっと悪いことには、この二つの科学が互いに全くバラバラに無関係でさえあるのである。そういう点で、現下の諸社会科学程甚だしいものを見ない。
 処で元来、それにも拘らず、夫々の諸社会科学が認識すべきであった実際乃至対象――歴史的社会――というもの自身は同一であるべき筈だったのだから、この科学の建前上の紛糾錯雑の原因は、客観にあるのではなくて主観になければならぬ。従って全くその方法[#「方法」に傍点]の間の紛糾錯
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