トいる。そしてその後は人類学や先史学が説明する。それから初めてディルタイやリッケルトを累《わずら》わす「歴史」が始まるのである(人類が死滅した後のことは、「歴史哲学」的形而上学にでも一任しよう)。
だが自然科学に於て最も重きをなすものは、進化論などという不精密な生物学的知識ではなくて、こういうものの最も精密な基礎をなす処の物理学の如きものだ、して見ればそこには歴史なるものがどれだけの意義を持つか、と或る人達はいうだろう。実際リッケルト達は恐らくそう云った想定に基いて方法論を考察したのかも知れない。だが物理学的物質元素そのものが、実は歴史的所産だということを、今思い出さねばならぬ。今日宇宙に九十幾つかの元素が発見されることは、全く宇宙の歴史的発展過程に於ける今日の段階の、云わば偶然的な(偶然論者に云わせれば)安定状態にすぎない。今日の原子物理学は、要するに元素の歴史的研究の基礎を築くものだと云っても、云い過ぎではないだろう。
無論自然の歴史と社会の歴史との間には、根本的[#「根本的」に傍点]な相違が存する。だがそれは二つの間に絶対的[#「絶対的」に傍点]なギャップがあるということとは
前へ
次へ
全322ページ中152ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
戸坂 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング