驕B処が解釈はそうした因果関係[#「因果関係」に傍点]を求めることを目的とはしない。その代りに解釈が齎すものは、諸事物の内部相互の間に横たわる構造連関[#「構造連関」に傍点]なのである。因果関係のような機械的関係は、生きた精神、生きた歴史、の認識の方法とはなり得ない。歴史は説明されるべきではなくて解釈されるべきだ、というのである。
因果関係は、云うまでもなく自然科学の認識目的の内容をなす。ディルタイによれば、今日の自然科学は自然を解釈理解するものではなくて、全く之を説明するものである(自然の解釈[#「自然の解釈」に傍点]というものがあるとすれば、夫はアリストテレスの『物理学』のようなものだろう、とディルタイは云っている。ベーコンも亦新しい「自然の解釈」を哲学の根本テーマとした)。――かくてディルタイによれば、自然科学と精神科学とは、その方法に於て、完全に相異り相距たっている。だから例えば、自然科学では真理の一義的な厳密な決定を与えることが出来るに反して、精神科学では高々卜占的[#「卜占的」に傍点](divinatorisch)な予言や推定しか出来ないという。
ディルタイの精神科学の
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