験なのである。して見ると、現実の事物の実際的な[#「実際的な」に傍点]認識のために必要な認識方法=範疇組織は、実験の内にその先端を有つような夫でなくてはならぬということになる。範疇組織がすぐ様実験の用具ではあり得ないが、実験という認識の根本特色を保維し生かすための概念組織が、唯一の正当な範疇組織でなくてはならぬ、というのである。
認識のこの実験的[#「実験的」に傍点]な特色(それは特に自然科学の科学性をなすものに他ならなかった)を社会的に云い直せば、認識の技術的[#「技術的」に傍点]な特色だということになる。蓋し実験と技術とは実践の系列の二項目であって、人間が自然に対して能動的に直接働きかける社会部面は、技術の領域に他ならないからである。この意味から云って正当な意味に於ける範疇組織は、必ず技術的範疇組織[#「技術的範疇組織」に傍点]でなくてはならぬのである*。唯物論による範疇は実は正に之なのである。
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* 技術的範疇の意味に就いては拙著『技術の哲学』〔本巻所収〕を見よ。
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唯物論のこの技術的範疇の組織は、云わば実験的な特色を有っていたから、之を現実の実際性(アクチュアリティー)に照して検証し得る本来の機構を有っている。ここにこの範疇組織の実在的[#「実在的」に傍点]な地盤があるのである。この実在的な地盤に立ち帰る時、理論に於ける一時の対立や外見上救い難く見えた矛盾も、之を単一的に唯一性を以て整理出来るような、理想的方針が見出されるわけである。――唯物論哲学の学問性のもつ唯一性と単一性は、即ちその科学性=科学らしさは、この実験的な技術的な特質に、即ちその実際的な実践的な特色に、由来するのだった。処が解釈のための観念論的な範疇組織は、科学性にとって最も大切なこの特色を欠いていたのである。そこに立場相互間の放恣な無政府状態が出現しなければならぬ理由もあったのだ。
さて、社会科学乃至歴史科学は、この唯物論になる技術的範疇組織と結合する時、初めてその唯一性と単一性とを、即ち又その科学性を、受け取ることが出来る。社会科学乃至歴史科学と哲学[#「哲学」に傍点]一般とのかの内部的結合の、唯一の正当なそして又必然的な形態は之だと云わざるを得ない。――マルクス主義は云われているようにフランス社会主義とイギリス古典
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