モとは無関係に“squeeze out”なのである。
この Usurpation の根本機構は、それ自身の内に自分を益々強めて行くという構造を含んでいる。余剰価値は、無限に余剰価値を再生産する。利潤は利潤を産むのである。かくて資本[#「資本」に傍点]は私有財産所有者の手に蓄積[#「蓄積」に傍点]する。資本は資本家[#「資本家」に傍点]の懐に、加速度を以て集中する。だから社会の富は資本家が独占[#「独占」に傍点]する処となる。従ってその反面に於て、社会の富は、労働者[#「労働者」に傍点]の手から益々遠ざけられて行かざるを得ない(余剰価値説なくして、今日に於ける金と富との膨大な集中は理解出来ない)。ブルジョア社会に於ては、資本家はその個人的能力からは比較的独立にその富が益々安定して来、之に反して労働者の貧困は、その個人的な能力とは無関係に、益々恒常なものとなる。さてこうやって富と貧困との対立が恒常化すと、資本家と労働者とは、もはや単なる個人の資格の名ではなくて、二つの階級[#「階級」に傍点]の名となる。ブルジョアジー[#「ブルジョアジー」に傍点]とプロレタリアート[#「プロレタリアート」に傍点]とになるのである。
ブルジョア社会は、本質から言って、ブルジョアジーとプロレタリアートとの階級対立に基く社会であり、生産の手続き上からは squeezing system により、経済的には貧困化により、政治的には抑制により、前者が後者を支配[#「支配」に傍点]する処の社会である。そしてブルジョアジーのプロレタリアートに対するこの支配が、余剰価値の再生産の過程と共に、益々強化されて行く処の社会なのである。ブルジョア社会に於ける国家[#「国家」に傍点]はブルジョアジーの階級的支配のための最高の機関となる*。
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* この資本主義社会の現在に於ける諸矛盾[#「矛盾」に傍点]とそれによる新しい社会制度への蝉脱とは、社会科学的世界の最も生彩のある内容であるが、史的唯物論のごく全般的な規定に止まらねばならぬ今の吾々は、之を省略することを余儀なくされる(之に就いては前述の一般的な部分及び前出拙稿「唯物史観とマルクス主義社会学」二九頁以下を見よ)。
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さて以上のようなものが、史的唯物論(社会科学的世界)の具体的内容の、ごく
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