ニが、本格的であったということが判る。
従来の多くの支配的な哲学――吾々はそれを正当な理由で広く観念論と呼ぶことが出来る――は、意識[#「意識」に傍点](乃至観念[#「観念」に傍点])から出発する、それがこの哲学の問題の地盤であり問題解決の鍵の所有者であり、又最後の解答者でもあるのだ。
だが実際、意識とは何であるか。
意識は無論哲学者だけにとっての科学的問題ではない、之を何よりもの固有な問題とするものは寧ろ心理学者であるように見える、心理学とは、心(Psyche)の、即ち又意識の、学でなければなるまい。併し心理学と雖も、一旦之が意識だと一応決められたものに就て、その意識の構造・機能・諸条件が何であるかは明らかに出来ても、抑々如何なるものを意識と呼ばねばならぬかは、最も基本的な問題であるにも拘らず、決して一義的には科学的に決定出来ない。それは必ずしも心理学が発達していず又はその基本的な省察が未熟であるからではなくて、其他の諸科学全般に於てもこの点に余り大した相違がないのである。でこの点は恰も一般に科学にとっての基礎概念――心理学では夫が意識である――が、もはや単純には科学[#「科
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