た。だが、この個人の有つ意識は、吾々の言葉に従うならば、あくまで個人的意識[#「個人的意識」に傍点]であってそれ以外の意識の概念ではない。というのは、意識――それは個人が所有するのであるが個人によって所有されるという点にその性格があるとは限らない――の概念は、専らそれが個人の所有であるという限りの意味に於てのみ、把握されているのである。この意識は如何に社会によって制約されると考えられていても、制約される意識自身が初めから個人的意識[#「個人的意識」に傍点]の概念によって制約されているから、社会的という規定はすでにこの意識に加えられるべく余りに立ち後れがしている。だからこそフロイト主義による個人の意識――精神――に於て、元来その社会的性格は至極表面的・付加的であらざるを得ない。――フロイト主義精神分析は、個人心理学的方法[#「個人心理学的方法」に傍点]を以てその方法とする*。これが今のカリカチュアの本質なのである。
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* 吾々はこの点及び他の点に就いて、I. Sapir がフロイト主義に加えた批評に同意出来る(I. Sapir, Freudis
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