フ秀でたるインテリゲンチャは如何にして例えばコンミュニズムとファシズムとの是非を判定するか。恐らく現実――この公平無私な現実――が歴史のこの時期に於て、人々――この公平無私なる人間性――に向って示しつつある「面貌」(Aspekt)に一致するような、そのような理想的な・「理想主義的」な・「解釈」に依ってであるだろう。処で事物の是非を判定[#「判定」に傍点]するには無論夫の解釈だけでは充分ではない、そこには恐らく何等か形而上学的[#「形而上学的」に傍点]な――措定的な――予想が必要であるように見える*。
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* 例えば P. Eppstein はマンハイムに従って云っている、妥当性の基準は論理範疇的な形式の内にはなくして、「形而上学的判定の明白感の内に求められねばならぬようである」と(Die Fragestellung nach der Wirklichkeit im historischen Materialismus, Archiv f. Sozialwissenschaft und Sozialpolitik, Bd. 60, 1928)。

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