n素人ではないことを注意せよ)。茲では常識一般[#「常識一般」に傍点]が専門一般[#「専門一般」に傍点]に対して太刀打ちが出来ると考えられる(無論或る一つの[#「一つの」に傍点]部門に就いては常識は専門に対して太刀打出来ないが)。であるからジャーナリズムは無論アカデミー内部に行われるのではない、そうではなくして、アカデミーと世間との、専門と常識との、対立に於て初めて行われるのである。人間が素人としてもつ常識性は専門性――科学性――とは独立な独自の原理を意味しているのであり(今の場合の常識――常識一般――は決して単に科学前の未熟な知識を意味するのではない)、科学がそれ自身の原理の代りにこの原理によって支配される時、それが科学の報道化となるのである。科学の報道化によって科学は常識の在庫品として整理され、人々は一切の専門的知識へのこの在庫品を通じて連絡を保とうとする。かくて人々はその所謂常識を豊富にすることが出来るわけである(報道化はであるから、一つの啓蒙ではあるが、もはや教育的啓蒙ではない)。――だが明らかにこの報道化は大衆化であることは出来ない。何となれば素人達の集団は専門家達の集団と対
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