の経験によれば、凡ての運動が必ずしも相対的には見え[#「見え」に傍点]ないから。この公準は却って経験に先立つという意味に於てアプリオリな、従ってその限り形而上的な、解釈に基く*(相対性理論の哲学的興味は茲に横たわる)。もしアリストテレス的物理学に依るならば、大地は天体運動の絶対的[#「絶対的」に傍点]な中心でなければならなかった**。少くとも天体の運動は絶対運動として解釈されたのであった。運動概念に就いてのかかる相対主義的及び絶対主義的解釈は、異った二つの物理学――宇宙論――を論理的に結果するのであり、そして事実後者は前者によって否定・止揚されたであろう。之はニュートンに対する場合とは異って単なる拡張・修正・補遺ではない。アリストテレス的物理学と今日の物理学とは、同一科学の原始状態と成熟状態とであるかのように見えるに拘らず、二つの科学はそのイデー――哲学的解釈――を異にする。一つの物理学が、歴史上に発生した経験を通過することによって、論理的に――単に歴史的にばかりではなく――他の物理学を否定・止揚したのであった。もし之と似た論理的代位をより明らかに意識したいならば、ルネサンス期の自然哲
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