はなくして止揚――否定の否定――であり、単なる対立ではなくして正にその対立自身の現実的な否定であるのである。かかる現実的な否定によって後者は、前者への対立者としての自己をも止揚するのである。この関係をもし前者から見れば、寧ろ後者の否定[#「後者の否定」に傍点]こそ、例えば後者程極端[#「極端」に傍点]に走らないことこそ、自己と後者との中庸[#「中庸」に傍点]こそ、所謂否定の否定と考えられるかも知れない(人々の云う否定の否定――総合――とは多くこの類である)。今は後者から見るから、後者の否定ではなくして後者自身が、前者の真の否定の否定であるのである。このような否定の否定が初めて批判的[#「批判的」に傍点]であることが出来る、批判者はこの意味に於てのみ被批判者を止揚するのが事実である。単なる内在的批判[#「内在的批判」に傍点]――夫は被批判者の立場からする――はそれ故元来批判の名には値いしない、批判とは常に超越的批判でしかない。そして大事なことは、この超越的批判が被批判者にとっては超越的に見え[#「見え」に傍点]るに拘らず、批判者にとっては被批判者に対して[#「被批判者に対して」に傍点]や
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