オ得ると云うのである、ただその場合意識が予め論理形態を決定していることを条件とするまでである。このようにして社会は論理を形態的に決定[#「形態的に決定」に傍点]し得るものである*。
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* 或る意味に於ける[#「或る意味に於ける」に傍点]論理形態が社会によって決定されることは、一例としてデュルケムが実証的に教える処である。と云うのは彼によれば論理の範疇[#「範疇」に傍点]は社会的に――そして夫は信仰・信念を媒介として――決定されるのである。併しこのような意味に於ける論理形態は、まだ必ずしも真理と虚偽との関係[#「真理と虚偽との関係」に傍点]としての、吾々の所謂論理形態ではない――前を見よ(〔E. Durkheim, Les formes e'le'mentaires de la vie religieuse. Conclusion.〕 参照)。
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所謂妥当[#「妥当」に傍点]の世界にぞくすると考えられる論理形態は意識[#「意識」に傍点]にぞくする情意・信念によって決定される、そしてこの情意形態・信念形態は又社会[#「社会」
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