いる。事実人々は或る事物を個物として知ろうと欲する時、即ちそれがもつ個性を多少なりとも明らかにしようとする時、その事物と他の事物との連続を仮定した上で、最初に両者の限界を見出し、かくて両者の区別を与えることによって目的の第一歩を達したものとするであろう。個物(個性)は常に限界[#「限界」に傍点]を与え得られることを以て、その最初の概念規定とするのである。次に、仮りにこの個別化原理が、個物と個物との間隙を埋めていた当の連続を否定したとして見よう。残るものは断続的な原子である。個別化原理は原子[#「原子」に傍点]に至って働きを停止する。原子(A−tom)は分割し得ざるもの、もはや個別化し得ざるものを意味し、そしてこれこそが個物(In−dividuum)であるのである。かくて個別化原理の終点に於て、個物(個性)の概念は原子[#「原子」に傍点]として、分つべからざる単一者として(時には又モナドとして)窮極的に現われる。
個物の概念が、従って又個物のもつ個性の概念が、常に個別化原理と共に――普遍者への関係に於て――しか理解されない所以が之である。個別化の原理に於て、個物(個性)は他との限界[#「限界」に傍点]を持つものとしてまずあり、そして窮極に於ては原子[#「原子」に傍点]としてある。
性格[#「性格」に傍点]の概念は然るに、個別化原理とは独立な成立を有っている処にその特色を示している。今それを明らかにしよう。
二つの事物の限界[#「限界」に傍点]が与えられない時に於ても、二つの事物の性格は夫々明らかであることが出来る。植物と動物との限界は決して正確に与えられ得ないにも拘らず、即ち両者を区別するに充分な徴標が見出し難いにも拘らず、それを理由にして動物と植物との夫々の特色が不明であると云うならば、それは少なくとも常識の忠実な告白ではないであろう。吾々は事実、両者の性格を夫々――常識的に*――知っており、又その限り両者の区別を、云うならば概略に於て[#「概略に於て」に傍点]知っているのであって、日常生活にとってはこの概略さで充分であり、又この概略さに止まらなければ日常生活は支えられないであろう。ただこのように概略に於て性格を理解することによっては、動物と植物との限界が少しも与えられないというまでである(実は与えられる必要がないのである)。動物と植物との関係に於てはそれにし
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