デオロギーという言葉はただマルクス主義の理論に立ってのみ、初めて正当な問題となることが出来る。「イデオロギーの論理学」はマルクス主義にのみぞくする。
 だが之は社会科学的公式の適用[#「適用」に傍点]ではない、そのことはこれ等の文章に少し眼を通せば明らかである。そうではなくして却って社会科学的公式の論理学的展開[#「論理学的展開」に傍点]でなければならない。之は新しい論理公式[#「論理公式」に傍点]を導来することを目的とする。夫々の文章がそれ故、論理上の問題を解くための公式として利用されるであろうことを、私はひそかに望んでいる。例えば世界観の論争に就いての問題は「問題に関する理論」へ、真理乃至虚偽に関する問題は「論理の政治的性格」乃至「無意識的虚偽」へ、科学階級性の問題は「科学の歴史的社会的制約」及び「科学の大衆性」へ、夫々帰着することが出来るであろう。敢えて譬えるならば、それは一切の民族問題がマルクスの「ユダヤ人問題」の公式に帰着するようなものであるだろう。最初の文章「性格概念の理論的使命」は、之等の公式を導き出すための下準備に外ならない。
 初めの方の文章では問題が比較的に無限定な形を取っている、後の方の文章が之を限定するのである。であるから、この書物はまだ之だけの内容では結末を有つのではない。次々に展開する筈の多くの問題が残されているわけである。好意ある読者がこの点に就いて私を誘導して呉れるならば、著者としてそれ以上の報いを私は知らない。私は何を追跡し何を整理すべきであるか。
 最後に一言しておきたい。私はかつて旧著『科学方法論』に於て、社会科学に関する科学論を後の機会に語りたいと約束しておいた。その約束は当分果すことは出来ないと思うが、この書物を出版することによって、約束の科学論の序説に代えたいと考える。
 この書物を出版するには多くの人々の好意がなければならない。特に私は、恩師田辺元博士と先輩三木清氏との名を挙げようと思う。私の頭を初めてこの方向に向けて呉れた人は後者であり、誠に適切な批判によって私の頭を推進せしめて呉れた人は前者である。直接間接に私に勇気を与えて呉れた少なからぬ友人達の名も忘れることが出来ない。これ等の文章を初めて載せた諸雑誌の編集者と出版を快諾して呉れた鉄塔書院主とへ謝意を表する。
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一九三〇・四・一二
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