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* 観念が歴史的現実――現在――を踏み越えた場合の虚偽の形態をユートピア[#「ユートピア」に傍点]と呼び、之に反対な場合の虚偽形態を、(悪き意味に於ける)イデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]と名づけることが出来る。
[#ここで字下げ終わり]
 時代から離れた真理の、歴史的存在と喰い違った観念の、有つこのような虚偽形態を、吾々は一般に時代錯誤[#「時代錯誤」に傍点]と呼んでいる。之によって社会の歴史的運動の必然性は忘れられ[#「忘れられ」に傍点]、又は見誤ら[#「見誤ら」に傍点]れる*。――さてこの時代錯誤こそ、論理に於ける無意識的虚偽[#「無意識的虚偽」に傍点]の代表的虚偽形態であるだろう。だが之はなぜ無意識[#「無意識」に傍点]なのか。
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* 事物の単なる流行[#「流行」に傍点]と、その事物の歴史的使命[#「歴史的使命」に傍点]とを混同するものは、今日吾々が好く見る一つの時代錯誤である。時代錯誤的人物は、歴史的使命をもつ或る現象を、単なる流行として片づけようと欲する。そのようなものこそ、今吾々が取り扱っている無意識的虚偽の適切な一例であるだろう。
[#ここで字下げ終わり]
 この虚偽形態はその原因を個人的論理の内に持つのではなかった。何故なら、それは社会的論理の内から、観念と社会的(歴史的)存在との関係から、出て来たテーマであったから。尤もこの虚偽形態に陥る主体は無論夫々の個人には相違ない。併し個人を陥れる原因は個人に在るのではなくして、社会の内にあったのである。或る個人は歴史的(社会的)感覚を持つが故にこの虚偽形態を犯さず、他の個人は之を持たないが故にこの虚偽形態の擒《とりこ》となる。そして後者は歴史的(社会的)感覚を持たないが故に、この虚偽形態に就いての感覚をも持ち得ない。彼にとっては自己の虚偽は少しも虚偽ではないのである。何となれば之を虚偽として意識させる動力は彼個人の内にはなくて、恰も彼が無関心である処の社会そのものの内にあるのだから。――之が無意識的虚偽である所以である。
 無意識的虚偽形態の代表としての時代錯誤は、個人のもつ歴史的[#「歴史的」に傍点](社会的)感覚[#「感覚」に傍点]の欠乏に、一応帰着する。併し一体このような感覚は何によって与えられるか。人々の素質[#「素質」に傍点]にでも依る
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