謬ではなくして虚偽である以上、それは――例えば主張として――飽くまで自らを保存する意志を常に有つのであり、その意志を実現するためには、おのずから、良心を自分の身方に引き寄せようとするのが必然であるから。尤も良心は元来――従って今の場合には特に――公平であることをこそ、その本分とするかのようであるから、容易には虚偽の甘言に乗りそうにもないと思われるかも知れない。併し実は、良心とは他方に於て確実さ――Gewissen――を意味する、それは一定の意識内容をそのものとして落ちつかせる性質をその場合持っている。それ故人の虚偽が――無論虚偽とは意識せずに――提出する一定の意識内容は、却って良心が一臂の力を貸すべく乗り出す絶好の材料を提供するものでさえあるのである。かくて良心はそれが良心であるが故に、却って無意識的虚偽の保証人となり弁護者となることが出来る。無意識的虚偽は良心を買収するのに成功することが出来る。カトリック教徒も良心を持ちプロテスタントも同じく良心を有つ。欧州大戦は、主としてドイツとフランスとの二つの良心――祖国愛という――の名に於ける同じ良心同志の血闘として意識されはしなかったか。かくて人々は今や良心を――この甘き良心を――あまり信じることを許されない。実際自らの良心を疑うことこそ却って良心的ではないのか。無意識的虚偽は所謂良心に会ってすら消滅しない程、それ程複雑であり執拗である。
理論乃至論理に於て、何がこのように複雑にして執拗な無意識的虚偽であるか。併しながら、無意識的虚偽の一つ一つの場合に就いて語ることは、事柄の性質上出来ることではない。吾々は無意識的虚偽が、原理的[#「原理的」に傍点]・原則的に[#「原則的に」に傍点]、即ち組織的に[#「組織的に」に傍点]、一定の形態[#「形態」に傍点]を有つことが出来る場合についてだけ語ろうと思う。一定形態をもつ組織的な無意識的虚偽、それを今検出して見よう。――単なる個々の虚偽[#「個々の虚偽」に傍点]をではない、そうでなくして組織的な虚偽形態[#「虚偽形態」に傍点]をである。
フランスの優れたる病理学的心理学者 Th. Ribot は※[#始め二重括弧、1−2−54]La logique des sentiments※[#終わり二重括弧、1−2−55]に於て、この問題に対して極めて有効な代表的な示唆を与えている。
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