はその公式そのものから論証しようとするから無駄な時間がかかるのだ。公式位いは覚えておかなくてはいけない、というのであった。
 実の処私は大変不服だったのである。公式というようなものを暗記していて、それで簡単に問題を片づけて了うのが、何か理科の生徒らしい非文学的な無教養を思わせるような気がしてならなかったからだ。大宅壮一氏は私を本質に於て文学青年だと再三保証して呉れているが、事実その頃は少し文学青年であったようだ。文学をやるのに法制経済など何の必要があるかと云って、級担任の教授に食ってかかった文科の生徒は私の親友であった。この法制経済否定論が、私の数学論に於ては公式否定論となって現われたのである。当時は、今日の大宅壮一とか服部之総とかいう連中が三高で大いに社会科学的研究の熱を揚げていた頃だが、「自由」をモットーとする三高に較べて「伝統」を合言葉にしている一高は、社会意識に於て可なり遅れていたのではないかと思う。或いは私だけが特にそうだったのかも知れない。がとに角私の「文学主義」は教室に於て事々に不都合を来たしたことは事実である。
 教授の訓誨に不服ではあったが、併しその時初めて私は、他の
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