政治上に謀叛して死んだ。死んでもはや復活した。墓は空虚だ。いつまでも墓に縋《すが》りついてはならぬ。「もし爾《なんじ》の右眼爾を礙《つまず》かさば抽出《ぬきだ》してこれをすてよ」。愛別、離苦、打克たねばならぬ。我らは苦痛を忍んで解脱せねばならぬ。繰り返して曰《い》う、諸君、我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀叛しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して。
 諸君、幸徳君らは乱臣賊子となって絞台の露と消えた。その行動について不満があるとしても、誰か志士としてその動機を疑い得る。諸君、西郷も逆賊であった。しかし今日となって見れば、逆賊でないこと西郷のごとき者があるか。幸徳らも誤って乱臣賊子となった。しかし百年の公論は必ずその事を惜しんで、その志を悲しむであろう。要するに人格の問題である。諸君、我々は人格を研《みが》くことを怠ってはならぬ。



底本:「日本の名随筆 別巻91 裁判」作品社
   1998(平成10)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「謀叛論」岩波書店
   1976(昭和51)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※『謀叛論』は、1911(明治44)年2月1日に、旧制第一高等学校で行われた講演の草稿である。底本の親本にあたる、『謀叛論』(岩波文庫)の編者、中野好夫によれば、草稿には、第一稿と思えるほぼ三分の二近くのもの、成案と思える第二稿、補遺と思われる断片二枚からなる第三稿の三種類がある。これらには、おびただしい推敲の筆が、隙間を埋め尽くすように加えられており、草稿に戻って『謀叛論』のテキストを吟味したという中野は、「別に新しく浄書稿でも発見されぬ限り、厳密な意味での定本は永久に不可能というのが正直なところではあるまいか」と述べている。岩波文庫版は、編者によって補われた欠落部分を〔 〕を用いて示し、底本はこの形式をそのまま引き継いでいる。青空文庫作成のテキスト本文では、この括弧は略し、該当部分を以下に掲げることとする。『謀叛論』がはじめて活字に起こされた『蘆花全集 第十九巻』(新潮社、1929(昭和4)年9月5日発行)の該当個所の記述も、あわせて示す。新潮社版には多くの伏せ字が見られ、以下のもの以外にも、岩波文庫版とは異なる点がある。
・井伊掃部頭直弼/井伊掃部〔頭〕直弼:
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