忠臣があるか。どこに不忠の嫌疑を冒《おか》しても陛下を諫《いさ》め奉り陛下をして敵を愛し不孝の者を宥《ゆる》し玉う仁君となし奉らねば已《や》まぬ忠臣があるか。諸君、忠臣は孝子の門に出ずで、忠孝もと一途である。孔子は孝について何といったか。色難《いろかたし》。有事弟子服其労《ことあればていしそのろうにふくし》、有酒食先生饌《しゅしあればせんせいにせんす》、曾以是為孝乎《すなわちこれをもってこうとなさんや》。行儀の好いのが孝ではない。また曰《い》うた、今之孝者是謂能養《いまのこうはこれよくやしのうをいう》、至犬馬皆能有養《けんばにいたるまでみなよくやしのうあり》、不敬何以別乎《けいせざればなにをもってかわかたん》。体ばかり大事にするが孝ではない。孝の字を忠に代えて見るがいい。玉体ばかり大切する者が真の忠臣であろうか。もし玉体大事が第一の忠臣なら、侍医と大膳職と皇宮警手とが大忠臣でなくてはならぬ。今度の事のごときこそ真忠臣が禍《わざわい》を転じて福となすべき千金の機会である。列国も見ている。日本にも無政府党が出て来た。恐ろしい企をした、西洋では皆打殺す、日本では寛仁大度《かんじんたいど》の皇帝陛下がことごとく罪を宥《ゆる》して反省の機会を与えられた――といえば、いささか面目が立つではないか。皇室を民の心腹に打込むのも、かような機会はまたと得られぬ。しかるに彼ら閣臣の輩《やから》は事前《じぜん》にその企を萌《きざ》すに由《よし》なからしむるほどの遠見と憂国の誠もなく、事後に局面を急転せしむる機智親切もなく、いわば自身で仕立てた不孝の子二十四名を荒れ出すが最後得たりや応と引括《ひっくく》って、二進《にっちん》の一十《いんじゅう》、二進の一十、二進の一十で綺麗に二等分して――もし二十五人であったら十二人半|宛《ずつ》にしたかも知れぬ、――二等分して、格別物にもなりそうもない足の方だけ死一等を減じて牢屋に追込み、手硬《てごわ》い頭だけ絞殺して地下に追いやり、あっぱれ恩威|並《ならび》行われて候と陛下を小楯《こだて》に五千万の見物に向って気どった見得《みえ》は、何という醜態であるか。啻《ただ》に政府ばかりでない、議会をはじめ誰も彼も皆大逆の名に恐れをして一人として聖明のために弊事《へいじ》を除かんとする者もない。出家僧侶、宗教家などには、一人位は逆徒の命乞《いのちごい》する者があっ
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