に遊んで居る。此処《ここ》はアイヌ語でニケウルルバクシナイと云うそうだ。平坦《へいたん》な高原《こうげん》の意。やゝ黄ばんだ楢《なら》、※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かしわ》の大木が処々に立つ外は、打開いた一面の高原霜早くして草皆枯れ、彼方《あち》此方《こち》に矮《ひく》い叢《むら》をなす萩《はぎ》はすがれて、馬の食い残した萩の実が触るとから/\音《おと》を立てる。此萩の花ざかりに駒《こま》の悠遊する画趣《がしゅ》が想われ、こんな所に生活する彼等が羨ましくなった。そこで余等も馬に劣《おと》らじと鼻孔《びこう》を開いて初秋高原清爽の気を存分《ぞんぶん》に吸《す》いつゝ、或は関翁と打語らい、或は黙《もく》して四辺《あたり》の景色を眺めつゝ行く。南の方は軍馬《ぐんば》補充部《ほじゅうぶ》の山又山狐色の波をうち、北は斗満の谷一帯木々の色すでに六分の秋を染《そ》めて居る。ふりかえって東を見れば、※[#「陸」の「こざと」に代えて「冫」、上巻−301−6]別谷《りくんべつだに》を劃《しき》るヱンベツの山々を踏《ふ》まえて、釧路《くしろ》の雄阿寒《おあかん》、雌阿寒《めあかん》が、一は筍《たけのこ》のよう、他は菅笠《すげがさ》のような容《なり》をして濃碧の色くっきりと秋空に聳えて居る。やゝ行って、倒れた楢の大木に腰うちかけ、一休《ひとやすみ》してまた行く。高原漸く蹙《せま》って、北の片岨《かたそば》には雑木にまじって山桜《やまざくら》の紅葉したのが見える。桜花《さくら》見にはいつも此処へ来る、と関翁語る。
やがて放牧場の西端に来た。直ぐ眼下《めした》に白樺《しらかば》の簇立《ぞくりつ》する谷がある。小さな人家一つ二つ。煙が立って居る。それからずっと西の方は、斗満上流の奥深く針葉樹《しんようじゅ》を語る印度藍色《インジゴーいろ》の山又山重なり重なって、秋の朝日に菫色《すみれいろ》の微笑《えみ》を浮べて居る。余等はやゝ久しく恍惚《こうこつ》として眺め入った。あゝ彼の奥にこそ玉の如き斗満の水源はあるのだ。「うき事に久しく耐ふる人あらば、共に眺めんキトウスの月」と関翁の歌うた其キトウスの山は、彼《あの》奥にあるのだ。而《しか》して関翁の夢魂《むこん》常に遊ぶキトウス山の西、石狩岳十勝岳の東、北海道の真中に当る方数十里の大無人境は、其奥の奥にあるのだ。翁の迦南《カナン》は其処《そこ》にある。創業から創業に移る理想家の翁にとって、汽車が開通した※[#「陸」の「こざと」に代えて「冫」、上巻−301−16]別なんぞは最早《もう》久恋《きゅうれん》の地では無い。其身斗満の下流に住みながら、翁の雄心《ゆうしん》はとくの昔キトウスの山を西に越えて、開闢《かいびゃく》以来人間を知らぬ原始的大寂寞境の征服に駛《は》せて居る。共に眺めんキトウスの月、翁は久しくキトウスの月を共に眺むる人を求めて居る。若い者さえ見ると、胸中《きょうちゅう》の秘《ひ》をほのめかす。此日放牧場の西端に立って遙に斗満《とまむ》上流の山谷《さんこく》を望んだ時、余は翁が心絃《しんげん》の震《ふる》えを切《せつ》ないほど吾|心《むね》に感じた。
鉄線《はりがね》を潜《くぐ》って放牧場を出て、谷に下りた。関牧場はこれから北へ寄るので、此れからニオトマムまでは牧場外を通るのである。善良な顔をした四十余の男と、十四五の男児《むすこ》と各|裸馬《はだかうま》に乗って来た。関翁が声をかける。路作りかた/″\※[#「陸」の「こざと」に代えて「冫」、上巻−302−7]別《りくんべつ》まで買物に行くと云う。三年前入込んだ炭焼《すみやき》をする人そうな。やがて小さな流れに沿《そ》う熊笹葺《くまざさぶ》きの家に来た。炭焼君の家である。白樺《しらかば》の皮を壁《かべ》にした殖民地式の小屋だが、内は可なり濶《ひろ》くて、畳《たたみ》を敷き、奥に箪笥《たんす》柳行李《やなぎごうり》など列《なら》べてある。妻君《かみさん》も善《よ》い顔をして居る。囲炉裏側《いろりばた》に腰かけて渋茶《しぶちゃ》の馳走《ちそう》になって居ると、天幕から迎いの人夫が来た。
茶を飲みながらふと見ると、壁の貼紙《はりがみ》に、彼岸会《ひがんえ》説教《せっきょう》、斗満寺《とまむじ》と書いてある。斗満寺! 此処《ここ》に其様《そん》なお寺があるのか。えゝありますと云う。折りからさきに馬に乗ってた子の弟が二人、本を抱《かか》えて其お寺から帰って来たので、早速案内を頼む。白樺の林の中を五六丁行くと、所謂《いわゆる》お寺に来た。此はまた思い切って小さな粗造《そぞう》な熊笹葺き、手際悪《てぎわわる》く張った壁の白樺|赤樺《あかかば》の皮は反《そ》っくりかえって居る。関翁を先頭《せんとう》にどや/\入ると、形《かた》ばかりの床《ゆか》に荒莚《
前へ
次へ
全171ページ中98ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング