寺の石門《せきもん》は南面して正に宇治の急流《きゅうりゅう》に対して居る。岩を截《き》り開いた琴阪とか云う嶝道《とうどう》を上って行く。左右の崖《がけ》から紅に黄に染みた槭《もみじ》が枝をさしのべ落葉を散らして、頭上は錦《にしき》、足も錦を踏んで行く。一丁も上って唐風《からふう》の小門に来た。此処から来路《らいろ》を見かえると、額縁《がくぶち》めいた洞門《どうもん》に劃《しき》られた宇治川の流れの断片が見える。金剛不動の梵山《ほんざん》に趺座《ふざ》して、下界|流転《るてん》の消息は唯一片、洞門を閃《ひら》めき過ぐる川水の影に見ると云う趣。心憎《こころにく》い結構の寺である。
 ※[#「士/冖/石/木」、第4水準2−15−30]駝師《うえきや》が剪裁《せんさい》の手を尽した小庭を通って、庫裡《くり》に行く。誰も居ない。尾の少し欠《か》けた年《とし》古《ふ》りた木魚と小槌《こづち》が掛けてある。二つ三つたゝいたが、一向出て来ぬ。四つ五つ破《わ》れよと敲《たた》く。無作法の響《おと》がやっと奥に通じて、雛僧《すうそう》が一人出て来た。別に宝物《ほうもつ》を見るでもなく、記念に画はがきなど買って出る。
 雲上《うんじょう》から下界に降る心地して、惜しい嶝道《とうどう》を到頭下り尽した。石門を出ると、川辺に幾艘の小舟が繋《つな》いである。小旗など立てた舟もある。船頭が上って来て乗れとすゝめる。
「如何《どう》だ、舟で渡って見ようか」
「えゝ、渡りましょう」
 一同舟に乗った。
 川上を見ると、獅子飛《ししと》び、米漉《こめかし》など云う難所に窘《いじ》められて来た宇治川は、今山開け障《さわ》るものなき所に流れ出て、弩《いしゆみ》をはなれた箭《や》の勢を以て、川幅一ぱいの勾配《こうばい》ある水を傾けて流して来る。紅に黄に染めた上流両岸の山は、碧《あお》い朝靄《あさもや》を被《き》て、山蔭の水も千反《せんたん》の花色綸子《はないろりんず》をはえたらん様に、一たび山蔭を出て朝日が射《さ》すあたりに来ると、水も目がさめた様に麗々《れいれい》と光り渡って、滔々《とうとう》と推し流して来る。瀬の音がごう/\/\、ざあ/\ざあと川面《かわつら》一面に響く。
「好いなァ」思わず声をあげる。
 船頭は軋々《ぎいぎい》と櫓の響《おと》をさせて、ほゞ山形《やまなり》に宇治川を渡す。
「何て奇麗な水でしょう」妻は舷側《ふなばた》の水を両手に掬《すく》い上げて川を讃《ほ》める。鶴子が真似《まね》る。
 平等院《びょうどういん》の岸近く細長い島がある。浮島と云うそうだ。島を蔽《おお》う枯葭《かれよし》の中から十三層の石輪塔《せきりんとう》が見える。
「あの塔は何かね、先には見かけなかった様だが」
「近頃掘り出したンどす。宝塔《ほうとう》たら云うてナ、あんたはん」
と船頭が説明する。水は早し、川幅《かわはば》は一丁には越えぬ。惜しと思うまに渡してしまって、舟は平等院|上手《かみて》の岸についた。
 舟賃《ふなちん》を払うて、其処《そこ》に三つ四つ設けられた茶店の前を過ぎて、美《うつく》しい紅葉を拾《ひろ》いつゝ余等は平等院に入った。
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      嫩草山の夕

 奈良は奠都《てんと》千百年祭で、町は球燈《きゅうとう》、見せ物、人の顔と声とで一ぱいであった。往年《おうねん》泊《とま》った猿沢池《さるさわのいけ》の三景楼に往ったら、主が変《かわ》って、名も新猫館《しんねこかん》と妙なものに化《ば》けて居る。うんざりしたが、思い直して、こゝに車を下りた。
 茶一|碗《わん》、直ぐ見物に出かける。
 上方客《かみがたきゃく》、東京っ子、芸者、学生の団体、西洋人、生きた現代は歴史も懐古も詩も歌も蹂躙《じゅうりん》して、鹿も驚いた顔をして居る。其|雑沓《ざっとう》の中を縫《ぬ》うて、先ず春日祠《かすがし》に詣《もう》でた。田舎みやげの話し草に、若宮前で御神楽《おかぐら》をあげて、ねじり廊《ろう》の横手を通ると、種々の木の一になって育って居る木がある。寄木《やどりぎ》、と札を立てゝある。大阪あたりの娘らしいのが、「良平《りょうへい》さんよ」と云う。お新さんがお糸さんと顔見合わせて莞爾《にっこり》した。お新さんは窃《そっ》と其内の椿の葉を記念の為にちぎった。
 嫩草山《わかくさやま》の麓の茶屋に来た頃は、秋の日が入りかけた。草履《ぞうり》をはいた娘子供が五六人、たら/\と滑《すべ》る様に山から下りて来た。
「如何《どう》だ、上って見ようか」
「え、上りましょう」
 足の悪いお新さんと鶴子を茶店《ちゃみせ》に残して、余は靴《くつ》のまゝ、二人の女は貸草履に穿《は》き更《か》えて上りはじめた。
 名を聞いてだに優にやさしい嫩草山は、見て美しく思うてなつかしい山である。
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