とうもく》となって草鞋《わらじ》がけになって真先に働いたしっかり者の作さんも亡くなりました。半歳立たぬに、作さんの十六になる一人女も亡くなりました。私共が粕谷へ引越しの前日、東京からバケツと草箒《くさぼうき》持参で掃除に来た時、村の四辻《よつつじ》で女の子を負《おぶ》った色の黒い矮《ちいさ》い六十爺さんに道を教えてもらいました。お爺さんは「村入」で「わしとおまえは六合の米よ、早く一しょになればよい」と中音《ちゅうおん》に歌うた寺本の勘さん、即ち作さんの阿爺《おとっさん》で、背の女児は十六で亡くなった其孫女でした。
まだ気の毒な亡者《もうじゃ》も、より気の毒な生き残りも二三あります。
それ等を外にしては、石山さん、勘爺さん、其弟の辰爺さん、仁左衛門さん、与右衛門さん、武太さん、田圃向うの信心家のお琴婆さん、天理教のおかず婆さん、其他の諸君も皆無事です。土の下、土の上、私共の択んだ故郷粕谷は上にも下にも追々と栄えて行きます。都落ちして其粕谷にすでに十七年を過ごして、私が五十六、妻が五十、頭は追々白くなって、気は恒春園の恒に若く、荒れた園圃と朽ち行く家の中にやがて一陽来復の時を待ちつゝ日一日と徐に私共の仕事をすすめて居ます。
書きたい事に切りがありませんが、其は他日の機会に譲って、読者諸君の健康を祝しつつここに一先《ひとま》ず此手紙の筆を擱《さしお》きます。
[#ここから2字下げ]
大正十二年十二月三十日
[#ここで字下げ終わり]
[#地から11字上げ]東京府 北多摩郡
[#地から12字上げ]千歳村 粕谷
[#地から8字上げ]恒春園に於て
[#地から3字上げ]徳冨健次郎
[#改丁、左右中央に]
附録
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ひとりごと
蝶の語れる
吾《われ》、毛虫《けむし》たりし時、醜《みにく》かりき。吾、蝶《てふ》となりて舞《ま》へば人《ひと》美《うつく》しと讃《ほ》む。人の美しと云ふ吾は、曩《その》昔《かみ》の醜かりし毛虫ぞや。
吾、醜かりし時、人《ひと》吾《われ》を疎《うと》み、忌《い》み、嫌ひて避け、見る毎《ごと》に吾を殺さんとしぬ。吾、美しと云はるゝに到れば、人《ひと》争《あらそ》うて吾を招く。吾れの変れる乎《か》。人の眼《まなこ》なき乎。
吾、醜しと見られし時、吾《わが》胸《むね》のいたみて、さびしく泣きたることいかばかりぞや。其《その》時《とき》君《きみ》独《ひと》り吾を憐みぬ。
君、吾が毛虫たりし時、吾を憐みて捨てざりき。故に蝶となれる吾は、今|翼《つばさ》ある花となりて、願はくは君が為に君の花園に舞はん。
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旅の日記から
熊の足跡
勿来
連日《れんじつ》の風雨《ふうう》でとまった東北線が開通したと聞いて、明治四十三年九月七日の朝、上野《うえの》から海岸線の汽車に乗った。三時過ぎ関本《せきもと》駅で下り、車で平潟《ひらがた》へ。
平潟は名だたる漁場《りょうば》である。湾の南方を、町から当面《とうめん》の出島《でしま》をかけて、蝦蛄《しゃこ》の這《は》う様にずらり足杭《あしくい》を見せた桟橋《さんばし》が見ものだ。雨あがりの漁場、唯もう腥《なまぐさ》い、腥い。静海亭《せいかいてい》に荷物を下ろすと、宿の下駄傘を借り、車で勿来関址《なこそのせきあと》見物に出かける。
町はずれの隧道《とんねる》を、常陸《ひたち》から入って磐城《いわき》に出た。大波小波|※[#「革+堂」、第3水準1−93−80]々《どうどう》と打寄する淋しい浜街道《はまかいどう》を少し往って、唯有《とあ》る茶店《さてん》で車を下りた。奈古曾《なこそ》の石碑《せきひ》の刷物《すりもの》、松や貝の化石、画はがきなど売って居る。車夫《くるまや》に鶴子《つるこ》を負《おぶ》ってもらい、余等は滑《すべ》る足元《あしもと》に気をつけ/\鉄道線路を踏切って、山田の畔《くろ》を関跡《せきあと》の方へと上る。道も狭《せ》に散るの歌に因《ちな》んで、芳野桜《よしのざくら》を沢山植えてある。若木《わかき》ばかりだ。路《みち》、山に入って、萩、女郎花《おみなえし》、地楡《われもこう》、桔梗《ききょう》、苅萱《かるかや》、今を盛りの満山《まんざん》の秋を踏み分けて上《のぼ》る。車夫《くるまや》が折ってくれた色濃い桔梗の一枝《ひとえだ》を鶴子は握《にぎ》って負《おぶ》られて行く。
浜街道の茶店から十丁程上ると、関の址《あと》に来た。馬の脊《せ》の様な狭い山の上のやゝ平凹《ひらくぼ》になった鞍部《あんぶ》、八幡《はちまん》太郎《たろう》弓かけの松、鞍かけの松、など云う老大《ろうだい》な赤松黒松が十四五本、太平洋の風に吹かれて、翠《みどり》の梢《こずえ》に颯々《さっさつ》の音を立てゝ居る。
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