、御所の廊下を駆《か》り玉ひき。
 御父祖の夢《ゆめ》は、君が代《よ》に現《うつつ》となりつ。君は維新のおん帝、御十七の若帝《わかみかど》、御束帯に御冠《みかんむり》、御板輿《おんいたごし》に打乗らせ、天下取ったる公卿《くげ》将卒に前後左右を護《まも》らして、錦の御旗を五十三|駅《つぐ》の雄風に翻《ひるが》へし、東下りを果《はた》し玉ひぬ。
 西の京より移り来て、東の京に君はしも四十五年住み玉ひぬ。東の京に住む君は、西なる京なつかしと思《おぼ》さぬにてはあらざりき。父の帝の眠ります西の京、其処《そこ》に生《あ》れまし十六まで育《そだ》ち玉ひし西の京、君に忘られぬ西の京。せめて暑中《しよちう》は西の京へでも、侍臣斯く申せば、御気色《みけしき》かはり、宣《のたま》ひけらく「朕《ちん》西京を嫌《きら》ふと思ふか。否《いな》、朕は西の京が大好きなり。さりながら、朕、東の京を去らば、誰か日本の政《まつりごと》を見むものぞ?」
 大政《おほまつりごと》しげくして、西なる京へ君はしも、御夢《みゆめ》ならでは御幸《みゆき》なく、比叡《ひえい》の朝は霞《かす》む共、鴨《かも》の夕風涼しくも、禁苑《きんゑん》の月|冴《さ》ゆとても、鞍馬の山に雪降るも、御所の猿辻《さるつじ》猿の頬《ほ》に朝日は照れど、烏《からす》啼《な》く椋《むく》の梢《こずゑ》に日は入れど、君は来まさず。君が御名《みな》得《え》し祐《さち》の井の、井《ゐど》のほとりの常磐木《ときはぎ》や、落葉木《らくえふぼく》の若葉《わかば》して、青葉《あをば》となりて、落葉《おちば》して、年《とし》また年と空宮《くうきう》に年は遷《うつ》りぬ四十五《しじふいつ》。
 四十五年の御代《みよ》長く、事|稠《しげ》き代の御安息《みやす》無く、六十路《むそぢ》あまり一年《ひととせ》の御顔《みかお》に寄する年の波、御魂《みたま》は慕《した》ふ西の京、吾事終へつと嘘《うそむ》きて、君|逝《ゆ》きましぬ東京に。
 東下り、京上り、往来《ゆきき》に果つるおん旅や、御跡《おんあと》印《しる》す駅路《うまやぢ》の繰りひろげたる絵巻物《ゑまきもの》、今巻きかへす時は来ぬ。時こそ来つれ、生涯の御戦闘《みいくさ》終《を》へて凱旋《がいせん》の。時こそ来つれ、生涯の御勤労《みつとめ》果てゝ御安息《おんやす》の。
 曩昔《そのかみ》の東下りの御板輿《おんいたごし》を白き柩車《きうしや》に乗り換へて、今こそ君は浄土《きよつち》の西の京へと還《かへ》り玉はめ。
[#地から3字上げ](大正元年 九月十三日)
[#改ページ]

     乃木大将夫妻自刃

 九月十五日、御大葬《ごたいそう》の記事を見るべく新聞を披《ひら》くと、忽《たちまち》初号活字が眼を射た。
[#ここから7字下げ]
乃木大将夫妻の自殺
[#ここで字下げ終わり]
 余は息《いき》を飲んで、眼を数行の記事に走らした。
「尤だ、無理は無い、尤だ」
 斯く※[#「口+云」、第3水準1−14−87]《つぶや》きつゝ、余は新聞を顔に打掩《うちおお》うた。

           *

 日清戦争中、山地中将が分捕《ぶんどり》の高価の毛皮の外套を乃木少将に贈ったら、少将は、傷病兵《しょうびょうへい》にやってしまった。此事を新聞で読んだのが、乃木《のぎ》希典《まれすけ》に余のインテレストを持つ様になった最初であった。其れから明治廿九年乃木中将が台湾《たいわん》総督《そうとく》となる時、母堂が渡台の御暇乞に参内《さんだい》して、皇后陛下の御問に対し、姥《ばば》は台湾の土にならん為、忰《せがれ》の先途《せんど》を見届けん為に台湾に参《まい》ります、と御答え申上げたと云う記事は、また深く余の心に滲《し》みた。余は此母子が好《す》きになった。明治三十四年中、ゴルドン将軍伝を書く時、余はゴルドンを描《えが》く其原稿紙上に乃木将軍の面影《おもかげ》がちらり/\と徂《い》ったり徠《き》たりするを禁じ得なかった。
 縁は異《い》なもので、ゴルドン伝を書いた翌々年「寄生木《やどりぎ》」の主人公から突然「寄生木」著作の事を委托《いたく》された。恩人たる乃木将軍の為めにと云う彼の辞《じ》であった。余は例に無く乗地《のりじ》になって引受けた。結果が小説寄生木である。
 小説寄生木は、該書《がいしょ》の巻頭にも断《ことわ》って置いた通り、主人公にして原著者なる「篠原良平」の小笠原善平が「寄生木」で、厳密《げんみつ》なる意味に於て余の「寄生木」では無い。寄生木の大木将軍夫妻は、篠原良平の大木将軍夫妻で、余の乃木大将夫妻では無い。余は厳に原文に拠《よ》って、如何なる場合にも寸毫《すんごう》も余の粉飾《ふんしょく》塗抹《とまつ》を加えなかった。そこで、寄生木は、南部《なんぶ》の山中から駈《か》け出した十六
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