んしょ》まで一々持って往ったものだ。八王子まではざっと六里、余り面倒なので、田はうっちゃってしまえと云う気になり、粕谷では田を一切|烏山《からすやま》にやるから貰《もら》ってくれぬかと相談をかけた。烏山では、タヾでは貰えぬ、と言う。到頭馬弐駄に酒樽《さかだる》をつけて、やっと厄介な田を譲った。
「嘘《うそ》の様な話でさ。惜しい事さね、今ならば……」
と云って、与右衛門さんは煙管《きせる》の雁管《がんくび》をポンと火鉢にはたいて、今にも水が垂《た》りそうな口もとをした。
[#地から3字上げ](明治四十四年 四月三日)
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五月五日
五月五日。日曜。節句。余等が結婚十九年の記念日。例によって赤の飯、若芽《わかめ》の味噌汁《みそしる》。
朝飯すまして一家買物に東京行。東京には招魂祭、府中には大国魂《おおくにたま》神社《じんしゃ》の祭礼があるので、甲州街道も東へ往ったり西へ来たり人通りが賑《にぎ》やかだ。新宿、九段、上野、青山と廻《まわ》って、帰途に就いたのが、午後四時過ぎ。東京は賑やかで面白い。賑やかで面白い東京から帰って来ると、田舎も中々悪くない。西日《にしび》に光る若葉の村々には、赭《あか》い鯉が緑の中からふわりと浮いて居る。麦の穂は一面|白金色《はくきんしょく》に光り、蛙《かわず》鳴く田は紫雲英《れんげそう》の紅《くれない》を敷き、短冊形《たんざくがた》の苗代《なわしろ》には最早|嫩緑《どんりょく》の針《はり》がぽつ/\芽ぐんで居る。夕雲雀《ゆうひばり》が鳴く。日の入る甲州の山の方から塵《ちり》のまじらぬ風がソヨ/\顔を吹く。府中の方から大国魂神社の大太鼓《おおたいこ》がドン/\と遙《はるか》に響《ひび》いて来る。
帰宅したのが六時過ぎ。正面《まとも》に見て眩《まぶ》しくない大きな黄銅色《しんちゅういろ》の日輪《にちりん》が、今しも橋場《はしば》の杉木立《すぎこだち》に沈みかけた所である。
本当に日が永い。
留守に隣から今年《ことし》も※[#「木+解」、第3水準1−86−22]餅《かしわもち》をもらった。
留守に今一つの出来事があった。橋本のいさちゃんが、浜田の婆《ばあ》さんに連れられ、高島田《たかしまだ》、紋付《もんつき》、真白に塗《ぬ》って、婚礼《こんれい》の挨拶《あいさつ》に来たそうだ。美《うつく》しゅうござんした、と婢《おんな》が云う。
いさちゃんは此辺でのハイカラ娘である。東京のさる身分ある人の女で、里子に来て、貰《もら》われて橋本の女になった。橋本の嗣子《あととり》が亡くなったので、実弟の谷さんを順養子《じゅんようし》にして、いさちゃんを妻《めあ》わしたのである。余等が千歳村に越《こ》して程なく、時々遊びに来る村の娘の中に、垢《あか》ぬけした娘が居た。それがいさちゃんであった。彼女は高等小学を卒《お》え、裁縫《さいほう》の稽古《けいこ》に通った。正月なんか、庇髪《ひさし》に結《ゆ》ってリボンをかけて着物を更《か》えた所は、争われぬ都の娘であったが、それでも平生《ふだん》は平気に村の娘同様の仕事をして、路の悪い時は肥車《こやしぐるま》の後押《あとお》しもし、目籠《めかご》背負《せお》って茄子《なす》隠元《いんげん》の収穫《しゅうかく》にも往った。実家の母やマアガレットに結って居る姉妹等が遊びに来ても、いさちゃんはさして恥じらう風情《ふぜい》も無かった。
田舎は淋《さび》しい。人が殖《ふ》え家が殖えるのは、田舎の歓喜《よろこび》である。人が喰合《くいあ》う都会では、人口の増加は苦痛《くつう》の問題だが、自然を相手に人間の戦《たたか》う田舎の村では、味方の人数が多い事は何よりも力で強味《つよみ》である。小人数《こにんず》の家は、田舎では惨《みじめ》なものだ。何《ど》の家でも、五人六人子供の無い家《うち》は無い。この部落《ぶらく》でも、鴫田《しぎだ》や寺本の様に屈強《くっきょう》な男子《おとこのこ》の五人三人持て居る家《うち》は、家《いえ》も栄《さかえ》るし、何かにつけて威勢《いせい》がよい。養蚕《ようさん》が重《おも》な副業《ふくぎょう》の此地方では、女の子も大切《だいじ》にされる。貧しい家《うち》が扶持《ふち》とりに里子をとるばかりでなく、有福《ゆうふく》な家《うち》でも里子をとり、それなりに貰ってしまうのが少なくない。其まゝに大きくして、内の※[#「女+息」、第4水準2−5−70]《よめ》にするのが多い。所謂《いわゆる》「蕾《つぼみ》からとる花嫁御《はなよめご》」である。一家総労働の農家では、主僕の間に隔《へだて》がない様に、実の娘と養女の間に格別《かくべつ》の差等《さとう》はない。養われた子女が大きくなっても、別に東京恋しとも思わず、東京に往っても直ぐ田舎に帰って来る。
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