片隅《かたすみ》に、坊主《ぼうず》になる程|伐《き》られた若木《わかぎ》の塩竈桜《しおがまざくら》であった。昨年次郎さんが出京入学して程なく、次郎さんの阿爺が持って来てくれたのである。其時は満開であった。惜しい事をしたものだ、此花ざかりを移し植えて、無事につくであろうか、枯れはしまいか、と其時は危《あや》ぶんだ。果して枯枝《かれえだ》が大分出来たが、肝腎《かんじん》の命《いのち》は取りとめて、剪《き》り残されの枝にホンの十二三|輪《りん》だが、美しい花をつけたのである。彼はあらためてつく/″\と其花を眺めた。晩桜《おそざくら》と云っても、普賢《ふげん》の豊麗《ほうれい》でなく、墨染《すみぞめ》欝金《うこん》の奇を衒《てら》うでもなく、若々《わかわか》しく清々《すがすが》しい美しい一重《ひとえ》の桜である。次郎さんの魂《たましい》が花に咲いたら、取りも直さず此花が其れなのであろう。
 清い、単純な、温《あたた》かな其花を見つめて居ると、次郎さんのニコ/\した地蔵顔《じぞうがお》が花心《かしん》から彼を覗《のぞ》いた様であった。
[#地から3字上げ](明治四十一年)
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     きぬや

 明治四十三年十二月二十六日。
 書院前《しょいんまえ》の野梅《やばい》に三輪の花を見つけた。年内に梅花を見るは珍《めず》らしい。霜《しも》に葉を紫《むらさき》に染《そ》めなされた黄寒菊《きかんぎく》と共に、折って小さな銅瓶《どうへい》に插《さ》す。
 例年《れいねん》隣家《となり》を頼んだ餅《もち》を今年《ことし》は自家《うち》で舂《つ》くので、懇意《こんい》な車屋夫妻が臼《うす》、杵《きね》、蒸籠《せいろう》、釜《かま》まで荷車《にぐるま》に積んで来て、悉皆《すっかり》舂いてくれた。隣《となり》二軒に大威張《おおいばり》で牡丹餅《ぼたもち》をくばる。肥後流《ひごりゅう》の丸餅《まるもち》を造る。碁石《ごいし》程のおかさねは自分で拵《こさ》えて、鶴子《つるこ》女史《じょし》大得意である。
 逗子《ずし》の父母から歳暮《せいぼ》に相模《さがみ》の海の鯛《たい》を薄塩《うすじお》にして送って来た。
 同便《どうびん》で来た手紙はがきの中に、思いがけない報知が一つあった。二十二日にとめやのきぬやが面疔《めんちょう》で死んだ、と云う知《しら》せである。
 彼女は粕谷草堂夫妻の新生涯に絡《から》んで忘れ難い恩人の一人《ひとり》である。
 明治三十九年美的百姓が露西亜《ろしあ》から帰って、青山《あおやま》高樹町《たかぎちょう》に居《きょ》を定むると間《ま》もなく、ある日|銀杏返《いちょうがえ》しに白い薔薇《ばら》の花簪《はなかんざし》を插した頬《ほお》と瞼《まぶた》のぽうと紅《あか》らんだ二十前後の娘が、突然唯一人でやって来て、女中《じょちゅう》になると云う。名はとめと云って江州《ごうしゅう》彦根在《ひこねざい》の者であった。兄が東京で商売をして居るので、彼女も出京してある家に奉公中、逗子で懇意になった老人夫婦の家の女中から高樹町の家の事を聞き込み、自《みずか》ら推薦《すいせん》して案内もなく女中に来たのであった。使《つか》って見ると、少し愚《おろ》かしい点《とこ》もあるが、如何にも親切な女で、毎《いつ》も莞爾々々《にこにこ》して居る。一度泥棒が入って後、彼女は離れて独女中部屋に寝るを恐れたが、部屋に戸締《とじま》りをつけてやると、安心して寝た。その兄はシャツ、ズボン下《した》など莫大小物《めりやすもの》の卸売《おろしうり》をして居るので、彼女も少しミシンを稽古《けいこ》して置きたいと云う。承知したら、彼女は喜んで日々|弁当持参《べんとうじさん》で高樹町から有楽町《ゆうらくちょう》のミシン教場《きょうじょう》へ通ったが、教場があまり騒々《そうぞう》しくて頭がのぼせるし、加上《そのうえ》ミシン台《だい》の数が少ないので、生徒間に競争が劇《はげ》しく、ズウズウしい女達《おんなたち》が順番《じゅんばん》になった彼女を押のけてミシンを占領したりするので、彼様《あん》な処へは最早《もう》行くのは嫌《いや》でござりますと云って、到頭《とうとう》女中専門になった。
 彼女が奉仕《ほうし》の天使の如く突然高樹町の家《うち》に現《あら》われてから六月目《むつきめ》に、主人夫婦は東京を引払うて田舎に移った。如何に貧乏な書生生活でも、東京で二十円の借家から六畳|二室《ふたま》の田舎《いなか》のあばら家への引越しは、人目《ひとめ》には可なりの零落《れいらく》であった。奉公人にはよい見切時《みきりどき》である。然しとめやは馴染《なじみ》もまだそれ程深くない主人夫婦を見捨てなかった。彼女は東京に居らねばならぬ身体《からだ》であったが、当分御手伝をすると云うて、風呂敷に
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