彼※[#「濁点付き片仮名「ヱ」」、1−7−84]ランダの一夜! 彼※[#「濁点付き片仮名「ワ」」、1−7−82]ロンカ[#「※[#「濁点付き片仮名「ワ」」、1−7−82]ロンカ」に二重傍線]の水浴! 彼|涼《すず》しい、而《そう》して木の葉の網目《あみめ》を洩《も》る日光が金の斑点《はんてん》を地に落すあの白樺《しらかば》の林の逍遙《しょうよう》! 先生も其処に眠って居られる。記憶から記憶と群がり来って果しがない。嗟《ああ》今一度なつかしいヤスナヤ、ポリヤナ[#「ヤスナヤ、ポリヤナ」に二重傍線]に往って見たい!
敬愛する夫人よ。私は長い手紙を書いてしまいました。最早こゝでペンを擱《さしお》かねばなりません。願わくば神あなたの寂寥《せきりょう》を慰めて力を与え玉わんことを。願わくばあなたの晩年が、彼|露西亜《ろしあ》の美《うる》わしい夏の夕《ゆうべ》の様に穏に美しくあらんことを。終《おわり》に臨《のぞ》み、私の妻もあなたの負《お》われ負わるゝ数々《かずかず》の重荷に対し、真実御同情申上げる旨、呉々《くれぐれ》も申しました。
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一九一二年 七月三日
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ヤスナヤ、ポリヤナ[#「ヤスナヤ、ポリヤナ」に二重傍線]と其記念を永久に愛する
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――― ―――――
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安さん
乞食《こじき》も色々のが来る。春秋《しゅんじゅう》の彼岸、三五月の節句《せっく》、盆なンどには、服装《なり》も小ざっぱりした女等が子供を負《おぶ》って、幾組も隊をなして陽気にやって来る。何処《どこ》から来るのかと聞いたら、新宿《しんじゅく》からと云うた。浅草紙、やす石鹸やす玩具《おもちゃ》など持て来るほンの申訳《もうしわけ》ばかりの商人実際のお貰《もら》いも少からず来る。喰《く》いつめた渡り職人、仕事にはなれた土方、都合《つごう》次第で乞食になったり窃盗《せっとう》になったり強盗《ごうとう》になったり追剥《おいはぎ》になったりする手合も折々《おりおり》来る。曾てある秋の朝、つい門前《もんぜん》の雑木林《ぞうきばやし》の中でがさ/\音がするので、ふっと見ると、昨夜此処に寝たと見えて、一人《ひとり》の古い印半纏《しるしばんてん》を着た四十ばかりの男が、眠《ねむ》たい顔して起き上り、欠伸《あくび》をして往って了うた。
一般的乞食の外に、特別名指しの金乞いも時々来る。やりたくても無い時があり、あってもやりたくない時があり、二拍子《ふたひょうし》揃《そろ》って都合よくやる時もあり、ふかし甘藷《いも》二三本新聞紙に包《つつ》んで御免を蒙る場合もある。然し斯様《こん》な特別のは別にして、彼が村居《そんきょ》六年の間に懇意《こんい》になった乞食が二人ある。仙《せん》さんと安《やす》さん。
仙さんは多少《たしょう》富裕《ゆたか》な家の息子の果であろう。乞食になっても権高《けんだか》で、中々吾儘である。五分苅頭《ごぶがりあたま》の面桶顔《めんつうがお》、柴栗を押つけた様な鼻と鼻にかゝる声が、昔の耽溺《たんでき》を語って居る。仙さんは自愛家である。飲料《いんりょう》には屹度《きっと》湯をくれと云う。曾て昆布《こんぶ》の出しがらをやったら、次ぎに来た時、あんな物をくれるから、醤油《しょうゆ》を損した上に下痢《げり》までした、と嗔《いか》った。小婢《こおんな》一人留守して居る処に来ては、茶をくれ、飯をくれ、果てはお前の着て居る物を脱いでくれ、と強請《ねだ》って、婢は一ちゞみになったことがある。主婦が仙さんの素生《すじょう》を尋ねかけたら、「乃公《おれ》に喧嘩を売るのか」と仙さんは血相を変えた。ある時やるものが無くて梅干《うめぼし》をやったら、斯様なものと顔をしかめる。居合わした主人は、思わず勃然《むっ》として、貰う者の分際《ぶんざい》で好悪《よしあし》を云う者があるか、と叱《しか》りつけたら、ブツ/\云いながら受取ったが、門を出て五六歩行くと雑木林《ぞうきばやし》に投げ棄てゝ往った。追かけて撲《ぶ》ちのめそうか、と思ったが、やっと堪《こら》えた。彼は此後仙さんを憎《にく》んだ。其後一二度来たきり、此二三年は頓斗《とんと》姿《すがた》を見せぬ。
我強《がづよ》い仙さんに引易《ひきか》え、気易《きやす》の安さんは村でもうけがよい。安さんは五十位、色の浅黒《あさぐろ》い、眼のしょぼ/\した、何処《どこ》やらのっぺりした男である。安さんは馬鹿を作って居る。夏着《なつぎ》冬着ありたけの襤褸《ぼろ》の十二一重《じゅうにひとえ》をだらりと纏《まと》うて、破れしゃっぽのこともあり、黒い髪を長く額に垂らして居ることもあり、或は垢染《あかじ》みた手拭を頬冠《ほおかむ》りのこともある。下
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