出来ない、其様に出たければあなた一人で勝手に何処へでもお出《いで》なさい、何処ぞへ仕事を探がしに御出《おいで》なさい、と突慳貪《つっけんどん》に云うンです。最早《もう》私も堪忍出来なくなりました」
「そこである日妻を無理に大連の郊外に連れ出しました。誰も居ない川原《かわら》です。種々と妻を詰問しましたが、如何《どう》しても実を吐《は》きません。其れから懐中して居た短刀をぬいて、白状《はくじょう》するなら宥《ゆる》す、嘘《うそ》を吐《つ》くなら命を貰《もら》うからそう思え、とかゝりますと、妻は血相を変えて、全く主人に無理されて一度済まぬ事をした、と云います。嘘を吐け、一度二度じゃあるまい、と畳みかけて責《せ》めつけると、到頭《とうとう》悉皆《すっかり》白状してしまいました」
彼はホウッと長い息をついた。
「それから私は主人に詰問の手紙を書きました。すると翌日主人が私を書斎に呼びまして『ドウも実に済まぬ事をした。主人の俺《わし》が斯《こ》う手をついてあやまるから、何卒《どうぞ》内済《ないさい》にしてくれ。其かわり君の将来は必俺が面倒を見る。屹度《きっと》成功さす。これで一先ず内地に帰ってくれ』と云って、二百円、左様、手の切れる様《よう》な十円|札《さつ》でした、二百円呉れました」
「君は其二百円を貰ったンだね、何故《なぜ》其《その》短刀で其男を刺殺さなかった?」
彼は俯《うつむ》いた。
「それから?」
「それから一旦《いったん》内地に帰って、また大連に行きました。最早《もう》主人は私達に取合いません。面会もしてくれません」
「而《そう》して今は?」
「今は東京の場末《ばすえ》に、小さな小間物屋を出して居ます」
「細君《さいくん》は?」
「妻は一緒に居るのです」
話は暫く絶えた。
「一緒に居ますが、面白くなくて/\、胸《むね》がむしゃくしゃして仕様《しよう》がないものですから、それで今日《こんにち》は――」
*
忽然《こつぜん》と風の吹く様に来た男は、それっきり影も見せぬ。
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百草園
田の畔《くろ》に赭《あか》い百合《ゆり》めいた萱草《かんぞう》の花が咲く頃の事。ある日太田君がぶらりと東京から遊びに来た。暫く話して、百草園《もぐさえん》にでも往って見ようか、と主人は云い出した。百草園は府中《ふちゅう》から遠く
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