自分自身がいやになり、周囲がいやになり、日本がいやになり、世界がいやになり、到頭生きる事がいやになり、自己を脱《ぬ》けたい、何処ぞへ移りたい、面倒臭い、いっそ死んでのけたいとまで思いつめ、落ちつく故郷を安住の地をひたもの探がし廻ったのでした。然し駄目でした。一足飛びに自分が聖人にもなれません。一から十まで気に入るような人間にも会えません。またしっくりと身に合うような出来合いの理想郷は此世にありません。然らば如何《どう》する? だらしなく無為に朽《く》ちるか。太く短く反逆の芝居を打って一思いに花やかな死を遂げるか。さもなくば自己に帰って、客観的には謙《へりくだ》ってすべてに顕わるる神を見、主観的には自己を核《かく》にして内にも外にも好きな世界を創造すべく努めるか。私は其一を撰ばねばならなくなりました。而して到頭自己に帰りました。「盍反其本《なんぞそのもとにかえらざる》」で、畢竟《ひっきょう》其本に、自己に、わが衷《うち》に在《いま》す神、やがてすべてに在す神――に帰ったのであります。帰れば其処が故郷でした。安住の地でした。私の母の歌に
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西、東、北の果までたづねても
みなみ(南、――皆身《みなみ》)にかへる地獄極楽
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というのがありますが、正《まさ》にそれです。皆身にかえる外はありません。私も五十年来さま/″\の旅をしつくし、駄目を押し、終に世界を一周《ひとめぐり》して来て見て、いよ/\自己に、而して自己の住む此処日本粕谷にしっかりと腰を据えたのであります。
十七年前、村入当時私は東隣の墓地の株に加入を勧められました。私は生返事して十数年を過ごしました。今年ある村の寄合の場で、私は斯く言いました。
「私共もいよ/\粕谷の土になる事にきめました。何分よろしく」
「世界で日本、日本で粕谷」に拍手喝采した諸君は、此時破顔一笑、会心《かいしん》のさざめきを以て酬《むく》うてくれました。
いよ/\私共も粕谷の土になるにきめました。東隣の墓地は狭いが、四千坪近い所有地は何処にやすらうも自由です。墓地をきめると云う事は、旅行しない意味では無論ありません。何処で死ぬか、私共は知りません。唯何処で死んでもいずれ粕谷の土です。
泊《とまり》がきまると、行手《ゆくて》を急ぐ要はありません。のろ/\歩きましょう。一歩は一歩の楽《たの
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