好い程の明《あかり》になった。颯《さあ》と云う音がする。轟《ごう》と云う響《ひびき》がする。風が出たらしい。四時やゝ廻《まわ》ると、妻が茶《ちゃ》を点《い》れ、鶴子が焼栗《やきぐり》を持て入って来た。
「雪水《ゆきみず》を沸《わ》かしたのですよ」
と妻が曰《い》う。ペンを擱《さしお》いて、取あえず一|碗《わん》を傾《かたむ》ける。銀瓶《ぎんびん》と云う処だが、やはり例《れい》の鉄瓶《てつびん》だ。其れでも何となく茶味《ちゃみ》が軟《やわら》かい。手々《てんで》に焼栗を剥《む》きつゝ、障子をあけてやゝしばし外を眺める。北から風が吹いて居る。田圃《たんぼ》向《むこ》うの杉の森を掠《かす》めて、白い風が弗《ふっ》、弗《ふっ》と幾陣《いくしきり》か斜《はす》に吹き通る。庭の内では、蛾《が》の如く花の様な大小の雪片《せっぺん》が、飛《と》んだり、刎《は》ねたり、狂《くる》うたり、筋斗翻《とんぼがえり》をしたり、ダンスをする様にくるりと廻《まわ》ったり、面白そうにふざけ散らして、身軽《みがる》に気軽《きがる》に舞うて居る。消えかけて居た雪の帽が、また地蔵の頭上に高くなった。庭の主貌《あるじがお》した赤松の枝から、時々サッと雪の滝《たき》が落ちる。
「今夜も降りますよ」
 斯く云いすてゝ妻は鶴子と立って往った。
 余は風雪の音を聞き/\仕事をつゞける。一枚も書くと、最早《もう》書く文字がおぼろになった。余はペンを拭《ふ》いて、立って障子をあけた。
 蒼白《あおじろ》い雪の黄昏《たそがれ》である。眼の届く限り、耳の届く限り、人通りもない、物音もしない。唯雪が霏々《ひひ》また霏々と限りもなく降って居る。良《やや》久《ひさ》しく眺める。不図|縁先《えんさき》を黒い物が通ると思うたら、其《それ》は先月来余の家に入込んで居る風来犬《ふうらいいぬ》であった。まだ小供※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]した耳の大きな牝犬《めいぬ》で、何処から如何《どう》して来たか知らぬが、勝手にありついて、追えども逐えども去ろうともせぬ。余の家には雌雄《しゆう》二|疋《ひき》の犬が居るので、此上牝犬を飼うも厄介である。わざ/\人を頼んで、玉川向うへ捨てさせた。すると翌日ひょっくり帰って来た。汽車に乗せたらと謂《い》って、荻窪《おぎくぼ》から汽車で吉祥寺《きちじょうじ》に送って、林の中に
前へ 次へ
全342ページ中298ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 健次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング