》で、急に梅が咲き、雪柳《ゆきやなぎ》が青く芽をふいた。山茱萸《さんしい》は黄色の花ざかり。赤い蕾《つぼみ》の沈丁花《ちんちょうげ》も一つ白い口を切《き》った。春蘭《しゅんらん》、水仙《すいせん》の蕾が出て来た。
雲雀《ひばり》が頻《しきり》に鳴く。麦畑《むぎばた》に陽炎《かげろう》が立つ。
唖の巳代吉が裸馬《はだかうま》に乗って来た。女子供がキャッ/\騒《さわ》ぎながら麦畑の向うを通る。若い者が大勢《おおぜい》大師様の参詣《さんけい》に出かける。
春だ。
恋猫《こいねこ》、恋犬《こいいぬ》、鶏《にわとり》は出しても/\巣《す》につき、雀《すずめ》は夫婦で無暗《むやみ》に人の家《うち》の家根《やね》に穴をつくり、木々は芽を吐き、花をさかす。犬のピンの腹《はら》ははりきれそうである。
夜は松の心芽《しんめ》程《ほど》の小さな蝋燭《ろうそく》をともして、雛壇が美《うつく》しかった。
(二)春雨
三月六日。
尽日《じんじつ》雨、山陽《さんよう》の所謂《いわゆる》「春雨《はるさめ》さびしく候」と云う日。
書窓《しょそう》から眺めると、灰色《はいいろ》をした小雨《こさめ》が、噴霧器《ふんむき》で噴《ふ》く様に、弗《ふっ》――弗《ふっ》と北から中《なか》ッ原《ぱら》の杉の森を掠《かす》めて斜《はす》に幾《いく》しきりもしぶいて通る。
つく/″\見て居る内に、英国の発狂《はっきょう》詩人《しじん》ワットソン[#「ワットソン」に傍線]の God comes down in the rain 神は雨にて降《くだ》り玉う、と云う句を不図《ふと》憶《おも》い出した。其れは「田舎《いなか》の信心《しんじん》」と云う短詩の一句である。全詩《ぜんし》は忘れたが、右の句と、「此処《ここ》田舎の村にては、神を信頼《しんらい》の一念今も尚存し」と云う句と、結句の「此れぞ田舎の信心なる、此れに越すものあらめやも」と云う句を覚えて居る。
農村《のうそん》に天道様《てんとうさま》の信心が無くなったら、農村の破滅《はめつ》である。然るに此信心は日に/\消亡《しょうもう》して、人智人巧唯我唯利の風が日々農村人心の分解《ぶんかい》を促《うなが》しつゝあるのだ。少しでも農村の実情を見知る者は、前途を懸念《けねん》せずには居られぬ。
(三)雨後
三月七日。
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