早《もう》故山の墓になって居るのだ。
皆さっさと過ぎて行く。
「御徐《おしずか》に!」
斯く云いたい。
何故《なぜ》人生は斯《こ》うさっさと過ぎて往って了《しま》うのであろう?
[#地から3字上げ](明治四十二年 一月二十二日)
[#改ページ]
蓄音器
あまり淋《さび》しいので、昔は嫌いなものゝ一にして居た蓄音器《ちくおんき》を買った。無喇叺《むらっぱ》の小さなもので、肉声《にくせい》をよく明瞭《めいりょう》に伝える。呂昇《ろしょう》、大隈《おおすみ》、加賀《かが》、宝生《ほうじょう》、哥沢《うたざわ》、追分《おいわけ》、磯節《いそぶし》、雑多《ざった》なものが時々余等の耳に刹那《せつな》の妙音《みょうおん》を伝える。
あたりが静《しずか》なので、戸をしめきっても、四方に余音《よいん》が伝《つた》わる。蓄音器があると云う事を皆知って了うた。そこで正月には村の若者四十余名を招待《しょうだい》して、蓄音器を興行《こうぎょう》した。次ぎには平生世話になる耶蘇教《やそきょう》信者《しんじゃ》の家族を招待した。次ぎには畑仕事で始終|厄介《やっかい》になる隣字《となりあざ》の若者等を案内した。今夜は村の婦人連を招《まね》いた。生憎《あいにく》前日来の雨で、到底|来者《きて》はあるまいと思うて居ると、それでも傘《かさ》をさして夕刻《ゆうこく》から十数人の来客《らいきゃく》。
妻と鶴子と逗留中《とうりゅうちゅう》の娘とが席に出て取持つ。
余は母屋《おもや》の炉《ろ》を擁《よう》して、書《ほん》を見ながら時々書院のさゞめきに耳傾ける。一曲終る毎に、入り乱れたほめ言葉が聞こえる。曲中ながら笑声が起る。二時間ばかりも過ぎた。茶菓が運ばれた。やがて誰やらクド/\言う様子であったが、音譜《おんぷ》の中には聞き覚えのない肉声が高々と響き出した。
余は窃《そ》と廊下《ろうか》伝《づた》いに書院に往って、障子の外に停《たたず》んだ。蓄音器が歌うのではない。田圃向《たんぼむこ》うのお琴婆さんが歌うのである。
田圃向うの浜田の源《げん》さんの母者《ははじゃ》は、余の字《あざ》で特色ある人物の一人である。彼女は神道《しんどう》大成教《たいせいきょう》の熱心な信者で、あまり大きくもない屋敷の隅には小さな祠《ほこら》が祭ってあって、今でも水垢離《みずごり》とって、天下泰平《て
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